興隆寺村(読み)こうりゆうじむら

日本歴史地名大系 「興隆寺村」の解説

興隆寺村
こうりゆうじむら

[現在地名]津名町興隆寺

南流する佐野(さの)川の上流、佐野村の西に続く山地の村。寛永四年(一六二七)の佐野之内興隆寺村検地帳(津名町史)によれば高三〇石余(田二六石余・畑四石余)・反別五町余(田三町五反余・畑一町五反余)。正保国絵図では高二六石余。天保郷帳では高四五石余。


興隆寺村
こうりゆうじむら

[現在地名]奈良市興隆寺町

南椿尾(みなみつばお)村東方の渓谷集落。「大乗院雑事記」文明一三年(一四八一)八月一日条に「昨日興隆寺自焼了」とある。慶長郷帳の村高一一七・〇五石。近世の初め幕府領(代官大久保長安)、元和五年(一六一九)津藩(藤堂高虎)領となる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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