船橋随庵(読み)ふなばしずいあん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「船橋随庵」の意味・わかりやすい解説

船橋随庵
ふなばしずいあん
(1795―1872)

幕末期の民政家。下総(しもうさ)国(千葉県)関宿(せきやど)藩士。名は信(かくしん)、通称は亘。家禄(かろく)200石。物頭(ものがしら)・用人を経て中老となったが、1856年(安政3)に62歳で致仕し、学問に精進して、あまたの著書を残した。1848年(嘉永1)西丸老中であった藩主久世広周(くぜひろちか)(5万8000石)の命で、関宿の用排水路の整備に着手し、翌年完成させたほか、新田開発や道路の改修などに功績が多い。著書には、助郷(すけごう)の廃止を主張した『宿駅人馬助郷考』、幕府の水行(すいこう)直し政策を批判した『水行直之論』のほか、『古今田制通考』『利根(とね)川治水考』『兵賦(へいふ)の大意』などがある。墓所は千葉県野田市関宿台町の宗英寺。

[大谷貞夫]

『奥原謹爾著『関宿志』(1973・関宿町教育委員会)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「船橋随庵」の解説

船橋随庵 ふなばし-ずいあん

1795-1872 江戸時代後期の武士
寛政7年生まれ。下総(しもうさ)関宿(せきやど)藩(千葉県)藩士。長島仁斎にまなび,藩主久世広周(くぜ-ひろちか)につかえ,用人をへて中老となる。「関宿落とし」とよばれる用水路開削など,治水,新田開発に業績をあげる。また農兵論を説き,農兵の採用を実行した。著作に「古今田制通考」など。明治5年4月9日死去。78歳。名は愨信(かくしん)。通称は亘。

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