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農兵 のうへい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

農兵
のうへい

封建時代には兵農分離が原則ではあったが,江戸時代末期,武士の無用化あるいは貧困化に伴って,武士を農耕に従事させたもの。また,農村の若者に兵事を訓練して武士の弱体化した戦力を補給しようという意図から徴集した兵士のこと。

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デジタル大辞泉の解説

のう‐へい【農兵】

平時は農業に従事し、事あるときには武装して兵となる者。屯田兵。
江戸末期、幕府・諸藩が農民で組織した軍隊。また、その兵士。

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百科事典マイペディアの解説

農兵【のうへい】

日本の中世においては兵農分離以前のとくに雑兵(ぞうひょう)をいう。近世では幕末に幕府や諸藩で農民を徴集した兵士をいう。幕末の農兵は外圧に対する武備強化の必要から生まれ,ときに豪農や村役人が組織して百姓一揆(いっき)の弾圧に用いられたこともある。

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世界大百科事典 第2版の解説

のうへい【農兵】

(1)日本の中世において16世紀末の兵農分離以前の兵,とくに雑兵(ぞうひよう)をいう。中世社会は兵農未分離で,武士は農村に土着し,農民もみずから武装しているのが常であり,ともに兵として徴発された。ルイスフロイス《日欧文化比較》が〈われわれの間では完全に武装具を着けなければ戦に赴くこととは見えない。日本では武装したというには,首に首当てを着けただけで十分である〉といっているのは,16世紀ヨーロッパの専業武士団と違う日本中世の農兵,とくに雑兵の特徴をよく示している。

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大辞林 第三版の解説

のうへい【農兵】

農民を主とした軍隊。また、その兵士。江戸末期、幕府・諸藩で組織された。
平常は農業に従事し、非常の際に武装して戦う兵士。屯田兵。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

農兵
のうへい

江戸時代末期に幕府や諸藩が海防や治安維持の目的で設けたもので、主として農民から募集し、大半が銃隊に組織された。すでに江戸時代中期に地方知行(じかたちぎょう)が消滅し、武士の城下町居住が一般化するとともに、彼らの生活は奢侈(しゃし)となり士風の退廃が顕著となった。武士土着論の農兵策は熊沢蕃山(ばんざん)、荻生徂徠(おぎゅうそらい)、藤田東湖(とうこ)らによって説かれたが、実施に至るのは幕末期のことで、もっぱら海防と、それに伴う財政負担を農民・町人に転嫁するためからであった。幕府の寄合(よりあい)筒井政憲(まさのり)は1846年(弘化3)、48年(嘉永1)の二度にわたり、異国船無二念(むにねん)打払令の緩和撤回を主張する保守派の強硬論に反対し、打払令よりも国防強化のために農兵の設置が肝要であると幕府に上申したがいれられず、46年以来、伊豆韮山(にらやま)代官江川太郎左衛門(たろうざえもん)英龍(ひでたつ)の行った、海防軍事再編成のための農兵設置案の建言も許されなかった。
 その後1861年(文久1)、江川代官所の農兵設置の建言は海防から農村の治安維持策に転換し、幕府も農兵制についての議論を深め、各界の諮問を求めた結果、63年江川代官所をはじめ幕府の諸代官に農兵設置を許可した。江川代官所の農兵はおもに地主・豪農層の子弟を選び、編成は「隊伍(たいご)仕法」によると、一小隊25名とし、小隊には頭取(とうどり)2、什兵(じゅうへい)組頭2、差引(さしひき)役1、計5名の役方が置かれ、残る20名を5名ずつの伍卒(ごそつ)組とし、組ごとに一名の小頭(こがしら)役を置いた。隊は十数か村以上を連合した組合村ごとに置かれ、100名につき1名の割合で募兵された。農兵設置の資金は、地主・豪農層の献金、鉄砲とその付属品も彼らの献上によるもので、これを隊ごとに貸与されるという形式をとった。江川代官所の農兵は1866年(慶応2)武州世直し一揆(いっき)の蜂起(ほうき)に際し鎮圧軍の中核となって活躍し、農兵設置の重要な役割を果たした。
 諸藩における農兵設置は1854年(安政1)土佐藩が着手し、役方は浪人・名主・郷士、兵士は農民・水夫・猟師で編成された。水戸藩も翌55年に着手し、紀州藩では63年洋式銃隊の訓練を実施し、同年長州藩では四国連合艦隊の攻撃に備えて奇兵隊をはじめとする諸隊が結成され、高杉晋作(しんさく)の指揮する奇兵隊は第二次征長戦に抗し、幕府軍に圧勝した。関東では江川代官所農兵隊の一揆鎮圧をみて諸藩が農兵を設置するなど、維新期には全国で大半の藩が農兵をもつに至った。[大舘右喜]

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世界大百科事典内の農兵の言及

【但馬国】より

…この事件で藩も家政向き不取締りとして35年(天保6)領知を半減された。 幕末期公武合体派に敗れた尊攘派平野国臣,美玉三平らが京をのがれて但馬に潜伏したが,折から地主豪農商層,村落支配者層のもとで組立てが進められていた農兵が,平野らの討幕運動に組み込まれていく。63年(文久3)天誅組の挙兵に呼応して,北垣晋太郎,西村庄兵衛ら多数の村落支配者層に動員された農兵が生野代官所を占拠した。…

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