色川幸太郎(読み)イロカワ コウタロウ

20世紀日本人名事典 「色川幸太郎」の解説

色川 幸太郎
イロカワ コウタロウ

昭和・平成期の弁護士 元・最高裁判事



生年
明治36(1903)年1月30日

没年
平成5(1993)年8月5日

出生地
千葉県野田市

学歴〔年〕
東京帝大法学部〔昭和2年〕卒

主な受賞名〔年〕
藍綬褒章〔昭和37年〕,勲一等瑞宝章〔昭和48年〕

経歴
昭和2年大阪で弁護士開業。日本農民組合顧問弁護士となり、小作人の弁護などで活躍。その後は労働法学の分野で研究を続けた。戦後は大阪弁護士会会長、大阪府地方労働委員会委員、大阪地方労働基準審議会委員、大阪地方公共企業体等調停委員会委員長などを歴任。41年5月最高裁判事に就任。44年の「悪徳栄え」事件では、わいせつ概念解釈で反対意見を書いた他、「都教組事件」「全農林警職法事件」で少数意見を述べるなど“人権派”判事として知られた。著書に「日本の裁判を考える」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「色川幸太郎」の解説

色川幸太郎 いろかわ-こうたろう

1903-1993 昭和-平成時代の弁護士,裁判官
明治36年1月30日生まれ。昭和2年大阪で弁護士となり,日本農民組合顧問として小作争議支援。労働法の研究をつづける。戦後,大阪弁護士会会長などをへて41年最高裁判事。48年弁護士に復帰。人権擁護派として知られた。平成5年8月5日死去。90歳。千葉県出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「色川幸太郎」の解説

色川 幸太郎 (いろかわ こうたろう)

生年月日:1903年1月30日
昭和時代;平成時代の弁護士;裁判官。最高裁判事
1993年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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