日本歴史地名大系 「芋瀬村」の解説 芋瀬村いもせむら 静岡県:浜松市旧長上郡・豊田郡地区芋瀬村[現在地名]浜松市河輪町(かわわちよう)天竜川河口近くの右岸に位置し、東対岸は掛塚(かけつか)村(現竜洋町)、北は東(ひがし)村、西は中新田(なかしんでん)村、南は萱野(かやの)新田村。松平忠頼領郷村帳に「いも中瀬村」とみえ、高一八石余、畑三町六反余、うち川成一〇石余。同所野方一七石余。元和三年(一六一七)の水野重仲知行目録に「芦(芋か)中瀬村」として高一八石余、同所野銭一七石余(代七貫文)。正保郷帳では長上郡に属し、田五石余・畑一三石余、新ヶ脇(椎ヶ脇社)・水神(現天泊水神社)・龍泉(りゆうせん)寺(現廃寺)領各一石余。元禄郷帳では豊田郡に属し、高一五五石余。領主の変遷は東村と同じ。文政三年(一八二〇)掛塚村・鶴見(つるみ)村・芋瀬村などを浜松藩領とする動きがあったが、源太夫(げんだゆう)堀を使用し浜松城下への出入り荷物で利益をあげている者に不都合なことや、天竜川普請の際に幕府と浜松藩では対応が異なり困ることなどを理由として反対している(「願訴前書」鈴木家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by