花山信勝(読み)ハナヤマ シンショウ

20世紀日本人名事典 「花山信勝」の解説

花山 信勝
ハナヤマ シンショウ

昭和・平成期の仏教学者,僧侶 東京大学名誉教授;宗林寺(浄土真宗本願寺派)住職



生年
明治31(1898)年12月3日

没年
平成7(1995)年3月20日

出生地
石川県金沢市

学歴〔年〕
東京帝大文学部印度哲学科〔大正10年〕卒,東京帝大大学院〔大正13年〕修了

学位〔年〕
文学博士(東京帝大)〔昭和17年〕

主な受賞名〔年〕
帝国学士院賞恩賜賞〔昭和10年〕「聖徳太子御製法華経義疏の研究」,勲三等旭日中綬章〔昭和44年〕,仏教伝道文化賞(功労賞 第16回)〔昭和56年〕

経歴
金沢市の宗林寺に生まれる。大正13年東大大学院修了後、英・独・仏に留学、インド仏蹟を踏査。昭和9年東京帝大講師、14年助教授、21年教授を歴任し、34年東大を定年退官し名誉教授。戦後、巣鴨拘置所の戦犯教誨師をつとめ、A級を含む50数人の処刑の最後を見届け、その記録「平和の発見」は、24年戦後初のベストセラーとなった。のち本願寺派の北米開教区開教総長を10年務めた。他の著書に「法華義疏の研究」「勝鬘経義疏の研究」「日本仏教」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「花山信勝」の意味・わかりやすい解説

花山信勝
はなやましんしょう
(1898―1995)

仏教学者、浄土真宗の僧。日本仏教とくに聖徳太子研究で著名。第二次世界大戦戦犯教誨師(きょうかいし)。金沢に生まれる。東京帝国大学文学部卒業、同大学院修了後、英・独・仏に留学。1959年(昭和34)東大を定年退官。聖徳太子奉賛(ほうさん)会の研究報告『聖徳太子御製 法華義疏(ほっけぎしょ)の研究』により1935年(昭和10)学士院恩賜賞受賞。1946年より3年半巣鴨(すがも)プリズン教誨師を務め、東条英機(とうじょうひでき)らA級7戦犯、B・C級戦犯の教誨にあたり、処刑に立ち会い、その記録『平和の発見』(1949)を刊行した。1959年より約10年、北米仏教団総長、加奈陀(カナダ)仏教団総長、北米仏教研究所長を務めた。著書に『勝鬘経義疏(しょうまんぎょうぎしょ)の上宮王撰(せん)に関する研究』、『三経義疏』や『往生要集』の校訳、その他がある。東大名誉教授、文学博士。

[田村晃祐 2017年9月19日]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「花山信勝」の解説

花山信勝 はなやま-しんしょう

1898-1995 昭和-平成時代の仏教学者,僧。
明治31年12月3日生まれ。東京帝大在学中,石川県金沢の生家,浄土真宗本願寺派の宗林寺をつぐ。日本仏教史を専攻し,昭和10年「聖徳太子御製法華経義疏の研究」で学士院恩賜賞。21年東京帝大教授。巣鴨拘置所の教誨(きょうかい)師として,東条英機らA級戦犯7人の処刑にたちあった。平成7年3月20日死去。96歳。著作に「平和の発見―巣鴨の生と死の記録」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「花山信勝」の解説

花山 信勝 (はなやま しんしょう)

生年月日:1898年12月3日
昭和時代;平成時代の仏教学者;僧。東京大学教授;宗林寺住職
1995年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android