花柳寿応(読み)ハナヤギ ジュオウ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「花柳寿応」の解説

花柳 寿応
ハナヤギ ジュオウ


職業
日本舞踊

肩書
花柳家元(2代目) 重要無形文化財保持者(歌舞伎舞踊)〔昭和35年〕,日本芸術院会員〔昭和37年〕

本名
花柳 芳三郎(ハナヤギ ヨシサブロウ)

別名
歌舞伎俳優名=尾上 菊太郎,前名=花柳 寿輔(2代目)(ハナヤギ ジュスケ)

生年月日
明治26年 10月3日

出生地
東京市 浅草区(東京都 台東区)

経歴
初代花柳寿輔の二男に生まれ、5歳の時から舞踊の手ほどきを受け、10歳で父と死別。明治37年6代目尾上梅幸、6代目尾上菊五郎の門弟となり尾上菊太郎を名乗る。43年歌舞伎界を離れ、父の後を継ぎ大正7年2代目寿輔を襲名し、花柳流2代目家元を継承。13年には花柳舞踊研究会をつくり意欲的に作品を発表、舞踊界に新風を送った。14年歌舞伎座付の振付師となり、2代市川猿之助(後猿翁)一座の振付を担当、猿翁十種と呼ばれる「独楽」「黒塚」などの新舞踊を振付した。戦後は昭和24年第2次日本舞踊協会を結成、会長、理事としても活躍。32年に日本芸術院賞を受賞。33年ブリュッセル万博に文化使節として一行とともに出演。35年人間国宝の認定を受け、37年日本芸術院会員。38年娘のわかばに寿輔の名を譲り、自分は寿応と改名。他の代表作品に「夢殿」「新編越後獅子」「花咲く春」「綾の鼓」「外記猿」「土蜘」など。著書に「寿輔芸談」がある。46年生前の業績を記念して花柳寿応賞(のち花柳寿応新人賞)が制定された。

受賞
日本芸術院賞(昭31年度)〔昭和32年〕 勲三等旭日中綬章〔昭和42年〕 舞踊芸術賞〔昭和30年〕

没年月日
昭和45年 1月22日 (1970年)

家族
父=花柳 寿輔(初代),長女=花柳 寿輔(3代目),弟=花柳 芳次郎(4代目)

親族
義弟=花柳 寿楽,甥=花柳 芳次郎(5代目)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

知恵蔵mini 「花柳寿応」の解説

花柳寿応

日本舞踊家。1931年3月22日、東京都生まれ。本名は花柳寛(ひろし)。1849年に初代花柳芳次郎(よしじろう、後の初代花柳寿輔・じゅすけ)によって創立された花柳流の元家元。1967年に父の名を継いで五世花柳芳次郎となる。2007年には花柳流三世家元の死去を受けて四世家元・寿輔を襲名。古典の継承のみならず、創作舞踊や宝塚歌劇団への振り付けなども旺盛に行い、日本舞踊の普及と発展に努めた。16年に孫の六世花柳芳次郎が五世寿輔を襲名し家元になると、自身は二世寿応を名乗り、後見人を務めた。20年9月26日に89歳で死去。

(2020-10-1)

出典 朝日新聞出版知恵蔵miniについて 情報

世界大百科事典(旧版)内の花柳寿応の言及

【花柳流】より

…日本舞踊の流派。流祖は初世花柳寿輔(じゆすけ)。寿輔は4世西川扇蔵の門弟として西川芳次郎を名のったが,4世扇蔵の没後,西川流から独立して,1849年(嘉永2)花柳芳次郎と改名,花柳流を創立した。初世は振付の才能に恵まれ,幕末から明治の劇壇で名振付師として活躍したが,9世市川団十郎と不和が生じ,劇壇から遠ざかり,1903年没した。実子の花柳芳三郎は6世尾上菊五郎の門弟として俳優修業を志したが,18年門弟たちに望まれ,2世寿輔を襲名した。…

※「花柳寿応」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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