日本大百科全書(ニッポニカ) 「苅萱桑門筑紫いえづと」の意味・わかりやすい解説
苅萱桑門筑紫いえづと
かるかやどうしんつくしのいえづと
浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。時代物。5段。並木宗輔(そうすけ)・並木丈輔(じょうすけ)合作。1735年(享保20)8月、大坂・豊竹座初演。翌年には歌舞伎(かぶき)でも取り上げられた。謡曲、説経節に扱われた苅萱道心の説話を中心に脚色。二段目までは筑前(ちくぜん)の大名加藤繁氏(しげうじ)が正妻と側室の嫉妬(しっと)による反目を知り、発心して高野山(こうやさん)へ入るまで。三段目「大内館(おおうちやかた)」と「繁氏館」が「いもり酒(ざけ)」または「玉取(たまとり)」とよばれ、今日も多く上演される。謀反人大内義弘(よしひろ)は繁氏去ったあとの加藤家に家宝夜明珠(やめいしゅ)の引き渡しを迫るが、この玉は20歳の処女でなければ光を失うというので、大内家の老臣多々羅新洞左衛門(たたらしんとうざえもん)の娘「ゆうしで」(夕秀)が受け取りの使者にたつ。しかし、加藤家の家老監物(けんもつ)太郎夫婦の計略で、恋情を催す守宮(いもり)酒を飲んだゆうしでは、太郎の弟女之助(おんなのすけ)と契ったため、玉は光を失いゆうしでは申し訳に自害する。清純な娘が淫酒(いんしゅ)によって処女を失うという着想が異色で、見ごたえのある場面。五段目の「高野山」は、苅萱道心となった繁氏が、はるばる尋ねてきた若君石童丸(いしどうまる)に会いながら、父と名のらずに帰す話で、沢村宗十郎の家の芸になっている。
[松井俊諭]