苗代田村(読み)なわしろだむら

日本歴史地名大系 「苗代田村」の解説

苗代田村
なわしろだむら

[現在地名]本宮町岩根いわね

本宮盆地南部の関下せきした村の西、五百ごひやく川北岸に位置する。北部は奥羽山脈末端に連なって山地が多く、南部は小屋舘山こやだてやまを除いて平坦。耕地の多くは永禄七年(一五六四)開設の岩色いわいろ堰、文政年間(一八一八―三〇)日照田ひてりだ(現北原田)まで延長された日影沢ひかげざわ堰によって灌漑され、その他は溜池によっている(本宮地方史)。村名は並んだ田に苗代をもうけた豊かなさまにちなむという(相生集)二本松街道(会津街道)荒井あらい村から首取くびとり山に入り当村本郷ほんごうに通じていたが、明治になり改良された。中世の館跡に小屋こや(岩色城)跡のほか字たてかげ鶴根つるね館跡があり、北畠顕家の臣津田顕兼・顕吉父子が居城、その後七代孫の津田蔵人が蘆名氏の麾下として住したと伝える。

苗代田村
なわしろだむら

[現在地名]五箇村苗代田

こおり村の南西方に位置し、苗代田川が流れる。地名は隠岐国一宮の水若酢みずわかす神社の神田用苗代があったことに由来するという説がある。慶長一二年(一六〇七)の越智郡検地帳に苗代田村とみえ、牧上畑の石盛は四斗代(島根県史)。寛永一五年(一六三八)の一宮大明神社領書上(忌部家文書)に村名がみえ、当村など三村内三〇石が水若酢神社領となっている。正保国絵図に村名がみえる。貞享五年(一六八八)の「増補隠州記」によれば、田八二石余・六町七反余、畑二一石余・一二町六反余、ほかに新田畑四石余。小物成は竈役面判銀(以下断りのない限り同銀)八匁・絞油三合余役七分・核苧二四〇目役六分・牛皮一枚役丁銀二匁五分・茶一一袋役一匁六分余、漆一合役は米八升九合余で代納。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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