若林玵蔵(読み)わかばやし かんぞう

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「若林玵蔵」の解説

若林玵蔵 わかばやし-かんぞう

1857-1938 明治-大正時代速記者
安政4年8月2日生まれ。田鎖綱紀(たくさり-こうき)にまなび,速記の実用化に成功。明治17年埼玉県会の議事記録を作成,23年帝国議会の常任速記者となる。おおくの速記者を養成した。昭和13年5月3日死去。82歳。武蔵(むさし)埼玉郡出身。著作に「速記法要訣」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の若林玵蔵の言及

【怪異談牡丹灯籠】より

…お露の幽霊が〈カランコロン〉と下駄の音をさせてくるというので,一世を風靡した。《塩原多助》とともに円朝の二大傑作と言われ,1884年若林玵蔵の手で,講談,落語の最初の速記本として出版された。(2)歌舞伎狂言。…

【速記】より

…そのなかで盛岡の人,田鎖綱紀(たくさりこうき)(1854‐1938)は,ピットマン系のグレアムGraham式速記を翻案し,1882年(明治15)10月28日(この日が速記記念日となった),東京に日本傍聴筆記法講習会を開いた。その修了生に若林玵蔵(かんぞう)(1857‐1938),林茂淳(1862‐1942)らがおり,若林が《郵便報知》の《自由新聞》に対する談判を速記した(1883年7月9日)のが実用化の最初である。そののち速記の利用分野は口述(矢野竜渓《経国美談》),講演(外山正一《漢字廃すべき論》),地方議会(埼玉県会)などに及んだが,とくに三遊亭円朝述《怪談牡丹灯籠(ぼたんどうろう)》(1884)に始まる講談速記(速記本)は広く世人に親しまれ,また言文一致の推進力ともなった。…

【速記本】より

…1884年刊,三遊亭円朝口演《怪談牡丹灯籠》を嚆矢(こうし)とする。これは,田鎖(たくさり)綱紀の速記講習会を卒業した若林玵蔵(かんぞう)と酒井昇造との速記の効用宣伝を目的にした仕事だったが,この成功によって,《塩原多助一代記》《英国孝子之伝》など円朝の速記本をはじめ,落語,講談の速記本が相ついで刊行され,89年には東京金蘭社から落語・講談速記専門誌《百花園》も創刊され,速記本は,伝統的な話芸にとって欠かせない存在となった。【興津 要】。…

※「若林玵蔵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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