苫東郡(読み)とまひがしぐん

日本歴史地名大系 「苫東郡」の解説

苫東郡
とまひがしぐん

和名抄」東急本(国郡部)に「苫田」として「有東西」とみえる。同書郷里部は諸本とも「苫東郡」と記す。訓はないが「トマタノヒムカシ」が本来の訓であろう。貞観五年(八六三)苫田とまた郡から分れて成立した。「和名抄」によれば苫田・高田たかた高野たかの綾部あやべ美和みわ賀和かわ賀茂かも林田はいだ高倉たかくらの九郷(ただし東急本は高田、高山寺本は賀和を欠く)を管し、令制の郡等級規定によれば中郡にあたる。郡域は主として吉井川の支流加茂かもみやの二河川流域の沖積平野を中心とし、古代には東は加茂川により勝田かつた郡、南は吉井川で久米くめ郡、西は苫西郡、北は中国山地を隔てて因幡智頭ちず郡と接した。西の苫西郡との郡界について「作陽誌」「東作誌」の記述をもとに宮川とする説が通説であるが、この説に従うと後述するように美作国府や、「延喜式」神名帳に載る中山なかやま神社が苫東郡とされていることと齟齬をきたす。そこで津山市の神楽尾かぐらお山とその北方の同市黒沢くろさわ山を結ぶ線を郡界とする説があり、ほぼ妥当な見解であろう。現在の津山市北東部と苫田郡加茂町・阿波あば村がほぼ郡域に相当する。

〔古代〕

「三代実録」貞観五年五月二六日条に「分美作国苫田郡、為苫東、苫西郡」とあり、このとき成立した。同九年八月一四日当郡に大領一員が増員された(同書)。職員令の規定によれば当郡は大領一人であるが、二人に増員されたことになる。二年後の同一一年七月二七日、当郡に郡司職田一〇町が加増されたが、先の大領増員に伴う措置であろう。「和名抄」東急本(国郡部)に「国府在苫東郡行程上七日下四日」とあり、美作国府が当郡に置かれ、京への行程が往路七日・復路四日であることが知られる。国府跡については宮川右岸段丘上の津山市総社そうじや幸畑こうばたけを中心とする一画と考えられており、国衙中枢部とみられる八―九世紀の瓦葺掘立柱建物などが検出されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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