林田郷(読み)はやしだごう

日本歴史地名大系 「林田郷」の解説

林田郷
はやしだごう

古代の阿野あや林田はいだ(和名抄)の郷名を継いだ中世の郷。現林田町を遺称地とする。讃岐国の国衙領は鎌倉時代後期には大覚寺統の皇室領として伝領され、当郷も後宇多上皇の譲渡を受けた昭慶門院憙子の嘉元四年(一三〇六)の院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)にみえる。知行者は亀山院の女房按察局。

「八坂神社記録」の後深草院の条によると、文永年中(一二六四―七五)四季天神供并常灯料所として郷内潮入しおいり新開が京都祇園社に寄進されている。また亀山院の条によると、弘安元年(一二七八)九月二三日に、郷内の梶取かんどり名内潮入新開田半分が本主沙弥円意によって代々の庁宣・関東御教書・手継証文を添えて祇園社に寄進され、翌二年五月五日、四季天神供常灯料所として晴増法眼の門弟相伝となすべき旨の亀山院の院宣が下されている。


林田郷
はやしだごう

和名抄」所載の郷。東急本の訓は「波也之多」。「播磨国風土記」に林田里がある。もとは談奈志いわなしとよばれていた。伊和大神が「国占」をした際に目印となる「御志みしるし」を植えそれが楡樹いわなしになったことによるという。里内に松尾まつお阜・しお阜・伊勢いせ野・稲種いなだね山がある。平城宮跡出土木簡に「播磨国揖保郡林(田カ)郷林里鴨」とみえる。この木簡は形状から調または庸の荷札で、郷里制記載から霊亀三年―天平一二年(七一七―七四〇)の間のものである。


林田郷
はいだごう

「和名抄」東急本・刊本に「林国」、高山寺本に「林田」とあるが、「国」は「田」の誤写であろう。高山寺本に「波以多」の訓がある。吉井川と加茂かも川との合流点北の河岸段丘を中心とする地域、現津山市林田付近と考えられる。推定郷域内の津山市川崎かわさき玉淋大塚ぎよくりんおおつかがある。全長三〇―三五メートルの前方後円墳で、埋葬施設は不明だが、馬具類が出土している。


林田郷
はいだごう

「和名抄」の諸本ともに「波以多」と訓を付す。中世には「八坂神社記録」などに林田郷が散見する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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