茂住銀山(読み)もずみぎんざん

日本歴史地名大系 「茂住銀山」の解説

茂住銀山
もずみぎんざん

[現在地名]神岡町東茂住

飛騨国中案内」は、銀山の開発について、銀山町頭のおにじようという往還筋で、越中の者が山から落ちてきた石を面桶という曲物に一杯拾い入れ吹かせてみたところ、能灰吹銀八〇匁もあったので銀弦を見いだし掘取ったと記す。そしてこれは約二五〇年ほど前の明応年間(一四九二―一五〇一)であるとしている。跡津川あとつがわ常磐ときわ神社神像の刻銘が明応七年とあるのを、銀山開発に結び付ける説もある。江戸初期、飛騨においても金・銀鉱山が開発され増産をみたと思われ、とくに和佐保わさぼ銀山・茂住銀山の繁栄が想像される。しかし具体的に検証する史料はきわめて乏しい。正徳二年(一七一二)の書上によると間歩数五五ヵ所、うち一一ヵ所は稼行中とあり、地山師家数六九・人数二七〇、稼行中の一一ヵ所には銀気がなく、享保六年(一七二一)の引渡帳には銀山間歩数五五ヵ所、このうちには間歩名も知れない年久しい捨り古間歩が三三ヵ所もあること、同八年の茂住銀山畑屋舗改帳によれば屋敷持の金山師が三八人とあり、元禄(一六八八―一七〇四)の八五人の屋敷のうち四三人分は住む人もなく荒地になったと報告されているから、大部分の間歩は江戸初期に開発されたと推定される(神岡鉱山史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の茂住銀山の言及

【神岡鉱山】より

…一部で露天採掘も行われるが,高度に機械化された大規模な方式で坑内採掘が行われている。【山口 梅太郎】
[沿革]
 16世紀末,現在の神岡鉱山の中心鉱区にあたる和佐保銀山および茂住銀山が発見・稼行された。初期には金・銀の産出が中心であったが,18世紀前半ころより銅・鉛の産出が中心になった。…

※「茂住銀山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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