茂庭村(読み)もにわむら

日本歴史地名大系 「茂庭村」の解説

茂庭村
もにわむら

[現在地名]福島市飯坂町いいざかまち茂庭もにわ

現福島市の最北部、奥羽山脈の東部に広がる山村で、伊達郡に属する。集落は西方の摺上すりかみ(九九七・一メートル)を源流とする摺上川に沿って、上流から名号なごう梨平なしだいらなかはら屶振なたぶり蟹沢かにざわ広瀬ひろせ・中茂庭・黒沢くろさわ秋庭あきにわ小泉こいずみ田畑たばた滝野たきの白兎しろうさぎ転井沢かるいざわ藤清水ふじしみず増沢ますざわ板橋いたばしなどの集落が数珠玉のように連なり、摺上川左岸に注ぐ支流布入ぬのいり川に沿って焼松やけまつ・布入の集落がある。出羽国高畑たかはた(現山形県高畠町)に至る稲子いねご峠越の道が摺上川左岸の集落を縫うように通じ、黒沢には口留番所が置かれていた。建久三年(一一九二)斎藤実良が当地のすげ沼にすむ大蛇を退治して生贄の娘を救い、村人に請われて当地にとどまり、姓を茂庭(鬼庭とも)と称したと伝える。茂庭氏は斎藤内蔵人行元を祖とし、山城国八瀬やせ(現京都市左京区)に住したが、のち移って下総国佐倉さくら(現千葉県佐倉市)、さらに下野国那須に住していたという(「茂庭家譜」福島市史)


茂庭村
もにわむら

[現在地名]仙台市茂庭台もにわだい一―五丁目・日本平にほんだいら山田自由やまだじゆうおか人来田ひときた一―三丁目・太白たいはく一―三丁目・茂庭・佐保山さほやま

名取川左岸の河岸段丘上に位置し、南を除く三方太白山・亀ヶ森かめがもり山・ばん山などの山々に囲まれる。村内を東西にほぼ名取川沿いに二口ふたくち越出羽道が縦貫し、北赤石きたあかいしからは南に名取川を船で渡る笹谷ささや街道が通じている。西は名取郡湯本ゆもと(現秋保町)大銅おおどう沢で、南は名取川を隔てて坪沼つぼぬま村および熊野堂くまのどう(現名取市)、東は山田村と接する。「貞山公治家記録」天正一六年(一五八八)八月二九日条に茂庭邑の茂庭定直が兄鷹(雄鷹)を持参献上するとみえ、同九月一五日条には名取郡茂庭より若い兄鷹三連が到来するとある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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