茂田七右衛門(読み)しげた・しちえもん

朝日日本歴史人物事典 「茂田七右衛門」の解説

茂田七右衛門

没年:寛文10(1670)
生年:生年不詳
江戸初期の新田開発者。祖父は戦国末上野国宮崎(群馬県富岡市)城主小幡氏の重臣で,主家没落後浪人となり千原村(甘楽郡南牧村)に住む。寛永13(1636)年,七右衛門は越後高田藩(上越市)の要請で美守郷(新潟県中頸城郡)の低湿地開拓に当たり,日本海への湛水放流,荒地開墾,保倉川上流からの用水路開削などの難工事を克服して,正保1(1644)年までに大瀁新田40カ村7576石を開発し,その功により327石を給せられた。さらに明暦1(1655)年,大瀁新田に接する中谷内に新田36カ村4036石の造成に協力し300石増給され士格に列し,新田開発の適地を探す新田見立奉行の役についた。茂田は居住の村を出身地にちなんで千原新田と命名している。<参考文献>渡辺慶一『越後国頸城郡大瀁郷新田開発史』

(中村辛一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「茂田七右衛門」の解説

茂田七右衛門 しげた-しちえもん

?-1670 江戸時代前期の治水家。
祖父は上野(こうずけ)(群馬県)小幡(おばた)氏の浪人。寛永13年(1636)越後(えちご)(新潟県)高田藩にまねかれ,新田開発にあたる。正保(しょうほ)元年までに大瀁(おおぶけ)郷40ヵ村,7500石余をひらく。さらに中谷内(なかやち)36ヵ村,4000石余の開発に協力。のち同藩の新田見立(みたて)奉行となった。寛文10年死去。

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