日本歴史地名大系 「草蒿寺跡」の解説 草蒿寺跡そうこうじあと 三重県:名賀郡青山町種生村草蒿寺跡[現在地名]青山町種生字国見(くにみ)にあり、今は梅林となっている。大正一五年(一九二六)草蒿寺跡の碑が建てられ、俳人服部土芳の「月添ひて悲しさこほる萩すゝき」の句が刻まれている。寺跡を含む周辺を国見山といい、標高約五〇〇メートル、遠近の山々を望む景勝の地であり、吉田兼好は晩年ここに隠棲、没したとの伝承がある。「伊水温故」や「三国地志」は「伊賀記」を引いて、開基を信西としているが明らかでない。種生(たなお)神社蔵の永正二年(一五〇五)の棟札に「くにし寺秀円善住順照」とあり、その頃当寺をくにし寺(国見寺か)とよんだと思われる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by