荒井良平(読み)アライ リョウヘイ

20世紀日本人名事典 「荒井良平」の解説

荒井 良平
アライ リョウヘイ

昭和期の映画監督



生年
明治34(1901)年10月22日

没年
昭和55(1980)年10月22日

出生地
長野県上田市

経歴
大正12年の大震災で大阪に移住、日活京都撮影所募集の時代劇ストーリーに入選したのがきっかけで、監督を志望したが入れられず、13年俳優研究生で入所。端役出演程度で14年退社。福井で人絹工場を開いたが挫折。昭和2年日活京都に復帰、撮影所が大将軍から太秦に移る時助監督に転じ、伊藤大輔らに師事。7年監督に昇進、「水戸黄門」3部作、「牢獄花嫁」「鍔鳴浪人」「風雲将棋谷」「神変麝香猫」など吉川英治、角田喜久雄原作物の前後編2作の大作で、主演も阪東妻三郎、大河内伝次郎片岡千恵蔵、嵐寛寿郎らと組みドル箱監督となった。17年南方戦線に報道部員で従軍、22年復員。以来大映を中心に時代劇の怪奇推理劇を作った。32年のテレビ映画「甘から横丁」を最後に引退、小豆島で自適。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の荒井良平の言及

【鳴滝組】より

…昭和10年前後(1934‐37ころ)に京都の鳴滝の住人だった映画監督,脚本家のグループの名称。山中貞雄稲垣浩,滝沢英輔,荒井良平,土肥正幹,三村伸太郎,八尋不二,藤井滋司の8人が〈梶原金八〉というペンネームで新しい自由な映画づくりをめざしてシナリオの合作や共同製作を行った。その意味では戦後のフランスの〈ヌーベル・バーグ〉,とくに映画研究誌《カイエ・デュ・シネマ》の批評家出身のグループに似た存在であったかと思われる。…

※「荒井良平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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