朝日日本歴史人物事典 「荒井顕道」の解説
荒井顕道
生年:文化11.2.21(1814.4.11)
江戸後期の代官。通称は清兵衛,号を香宇,迂軒。御家人荒井道貞の長男。海軍総裁矢田堀景蔵(鴻)は異母弟。早くから昌平黌に学び,和漢,蘭学も修めた。天保10(1839)年家督を継ぐ。嘉永1(1848)年小普請方より陸奥国塙(福島県塙町)代官に任ぜられ,3年甲斐国市川(山梨県市川大門町)代官となる。このとき代官の職務遂行のうえで必要な法令,先例,慣例を収めた『牧民金鑑』全22巻を編纂した(1853)。また安政1(1854)年の大地震の際救済措置を領民より感謝され生祠に祀られた。翌2年に陸奥国桑折(福島県桑折町)代官。同5年には関東代官となる。和宮降嫁に際し,接待の勤役中に急逝した。ほかに著書『香宇叢書』『迂軒雑綴』『迂軒又綴』など。墓は東京都台東区池之端2丁目の休昌院。<著作>荒井顕道編・滝川政次郎校訂『牧民金鑑』
(村上直)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報