20世紀日本人名事典 「荒川嶺雲」の解説 荒川 嶺雲アラカワ レイウン 明治〜昭和期の彫刻家 生年明治1年(1868年) 没年昭和16(1941)年 出生地出雲国松江(島根県松江市) 経歴はじめ、叔父の荒川亀斎に彫刻を学ぶ。24歳で上京し、高村光雲に入門。シカゴ世界博覧会・パリ博覧会・内国博覧会などに作品を出展し、高い評価を受けるが、間もなく病気の老母を養うために帰郷した。30歳のとき再び東京に上って和洋の彫刻を修め、のち帰郷して島根県の多伎に住んだ。明治40年皇太子(のちの大正天皇)の山陰行幸に際し、御前で「一刀彫」の彫刻を行った。優雅で気風に富んだ作風で知られ、代表作に扁額「義経高松の図」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒川嶺雲」の解説 荒川嶺雲 あらかわ-れいうん 1868-1941 明治-昭和時代前期の彫刻家。明治元年生まれ。郷里の島根県松江で荒川亀斎にまなび,24歳のとき東京にでて高村光雲に師事。シカゴ世界博覧会,パリ博覧会などに出品し賞をうける。昭和16年死去。74歳。代表作に扁額「義経高松の図」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by