日本歴史地名大系 「荒平城跡」の解説 荒平城跡あらひらじようあと 福岡県:甘木市野鳥村荒平城跡[現在地名]甘木市野鳥野鳥(のとり)川右岸にあった秋月氏の城。古処山(こしよさん)城の里城の役割を果した。天正一四年(一五八六)と推定される九月二七日の安国寺恵瓊書状(萩藩閥閲録二)に「荒平」とみえ、恵瓊は当城を受取り入城した伊賀家久に対し、一両日中に付城を付け、兵粮を籠めるように進言し、当城が敵に落されたならば隈本(くまもと)(現熊本県熊本市)への通路が途切れると伝えている。 荒平城跡あらひらじようあと 熊本県:飽託郡北部町万楽寺村荒平城跡[現在地名]北部町万楽寺万楽寺上屋敷(まんらくじかみやしき)集落の南東側にある山稜末端部の椀形の小山が城跡と伝えられる。自然地形そのままで、合戦の際に立籠るだけの城であろうと考えられる。城跡と伝えられる山地の北側麓に菅原神社があり、周辺の水田を含んで長方形状の平坦地があり、ここに城と関連する館があったのではないかと推定される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by