デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「荒木田経雅」の解説 荒木田経雅 あらきだ-つねただ 1742-1805 江戸時代中期-後期の神職,国学者。寛保(かんぽう)2年9月4日生まれ。安永2年伊勢内宮の禰宜(ねぎ)。神宮の故事・慣例に通じ「大神宮儀式解」30巻をあらわす。和歌もよくし,本居宣長(もとおり-のりなが)と親交があった。文化2年3月13日死去。64歳。本姓は中川。通称は豊後。著作はほかに「清渚集」「経雅卿雑記」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「荒木田経雅」の解説 荒木田経雅 没年:文化2.3.13(1805.4.12) 生年:寛保2.9.4(1742.10.2) 江戸中期の国学者。幼名岩五郎,通称豊後,尚侍。寛保3(1743)年生年説もある。伊勢内宮禰宜中川経正の子。中川経雅とも。安永2(1773)年に内宮禰宜に補せられる。従三位。本居宣長門。伊勢神宮の典故研究の第一人者で,研鑽の成果を大著『大神宮儀式解』に結実させた。他に『清渚集』を著す。 (久保田啓一) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
367日誕生日大事典 「荒木田経雅」の解説 荒木田経雅 (あらきだつねただ) 生年月日:1742年9月4日江戸時代中期;後期の神官;国学者1805年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by