日本歴史地名大系 「荒蒔村」の解説 荒蒔村あらまきむら 三重県:多気郡多気町荒蒔村[現在地名]多気町荒蒔櫛田(くしだ)川中流域の右岸にある。東に兄国(えくに)・西池上(にしいけべ)村、南に五佐奈(ごさな)村、西に相可(おうか)村を控え、北方は櫛田川によって中万(ちゆうま)村(現松阪市)と隔てられている。「神鳳鈔」の建久注文以後の個所に外宮領として「荒蒔御薗」がみえる。道後政所職事(神宮文庫蔵)には、永享一一年(一四三九)一二月一一日付の道後政所代官補任状に、相可を中心とした櫛田川中流域両岸の村々とともに、「荒蒔」がみえる。三方会合所引留(神宮文庫蔵)には天正一九年(一五九一)五月一一日付の「伊勢国多気郡相可八百弐拾石・荒蒔百八十石、合計千石之事、令扶助之訖、全可領知者也」という豊臣秀吉朱印状があり、相可八二〇石・荒蒔一八〇石がこの時、外宮の御師上部大夫に与えられた。 荒蒔村あらまきむら 奈良県:天理市二階堂地区荒蒔村[現在地名]天理市荒蒔町平等坊(びようどうぼう)村西方に所在。永仁二年(一二九四)の大仏灯油料田記録に「アラマキ」とあり、慶長郷帳では「荒巻村」で村高三八四・〇三石、山口勘兵衛組の所領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by