江戸前期の俳人。姓は山本。通称は武右衛門。名は周知。初号は加慶。別号に橿木堂,撫贅庵がある。名古屋堀詰町のち桑名町住の医。句の初出は,1672年(寛文12)刊の椋梨一雪編《晴小袖》であるが,84年(貞享1)刊の《冬の日》の編集によって名を知られるに至った。その後,尾張蕉門の大立者としてふるまい,俳諧七部集第2の《春の日》,第3の《曠野(あらの)》を次々と編集し,名古屋は蕉門の一大拠点となった。しかし,絶えず新しみを求めて前進し続ける芭蕉に,荷兮を中心とする名古屋蕉門は,しだいに取り残された形となり,93年(元禄6)の荷兮編《曠野後集》では,序文に細川幽斎から西山宗因に至る古風の句をあげ,〈たゞいにしへをこそこひしたはるれ〉と述べて古風回帰を目ざしている。さらに,著名な蕉門俳人の句の見られない《ひるねの種》や《橋守》を編集して反芭蕉の立場をとるようになる。許六(きよりく)編《歴代滑稽伝》において,路通,野水,越人,木因らとともに〈勘当の門人〉とされるのは,こうした荷兮の姿勢を問題にしたものであった。99年,《青葛葉》を編んだのちは,徐々に俳諧から遠ざかっている。晩年は法橋となり,連歌師昌達として過ごしている。〈こがらしに二日の月のふきちるか〉(《曠野》)。
執筆者:岡本 勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…1688年(元禄1)冬から翌年春にかけての成立(異説もある)。88年8月11日越人(えつじん)と荷兮(かけい)の召使を連れて木曾路をたどり,姥捨の月を賞し,翌日善光寺にもうで,長野から碓氷峠を経て月末江戸に帰るまでの紀行作品で,構成は前半に文章,後半に発句を置く。冒頭に〈さらしなの里,姥捨山の月見ん事,しきりにすゝむる秋風の心に吹きさはぎて〉とあり,この作品が姥捨月見の記であることを示す。…
…俳諧撰集。荷兮(かけい)編。1686年(貞享3)8月下旬刊。…
…俳諧撰集。荷兮(かけい)編。1684年(貞享1)冬成立。…
※「荷兮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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