山本荷兮(読み)ヤマモトカケイ

関連語 荷兮

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山本荷兮」の解説

山本荷兮 やまもと-かけい

1648-1716 江戸時代前期-中期の俳人。
慶安元年生まれ。尾張(おわり)名古屋の医師。貞享(じょうきょう)元年松尾芭蕉(ばしょう)をむかえて歌仙興行。「冬の日」「春の日」「阿羅野」を編集。のち昌達の号で連歌師となった。享保(きょうほう)元年8月25日死去。69歳。名は周知。別号に加慶,橿木堂(きょうぼくどう)。
格言など】あたらしき茶袋ひとつ冬籠り(「春の日」)

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の山本荷兮の言及

【荷兮】より

…江戸前期の俳人。姓は山本。通称は武右衛門。名は周知。初号は加慶。別号に橿木堂,撫贅庵がある。名古屋堀詰町のち桑名町住の医。句の初出は,1672年(寛文12)刊の椋梨一雪編《晴小袖》であるが,84年(貞享1)刊の《冬の日》の編集によって名を知られるに至った。その後,尾張蕉門の大立者としてふるまい,俳諧七部集第2の《春の日》,第3の《曠野(あらの)》を次々と編集し,名古屋は蕉門の一大拠点となった。しかし,絶えず新しみを求めて前進し続ける芭蕉に,荷兮を中心とする名古屋蕉門は,しだいに取り残された形となり,93年(元禄6)の荷兮編《曠野後集》では,序文に細川幽斎から西山宗因に至る古風の句をあげ,〈たゞいにしへをこそこひしたはるれ〉と述べて古風回帰を目指している。…

※「山本荷兮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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