荷負村(読み)においむら

日本歴史地名大系 「荷負村」の解説

荷負村
においむら

[現在地名]沙流さる郡平取町字二風谷にぶたに・字荷負・字貫気別ぬきべつ

明治初年(同二年八月から同六年の間)から大正一二年(一九二三)までの村。沙流郡の西部に位置し、南は二風谷村に、東は貫気別村に、北は長知内おさちない村に接し、西は沙流川に沿う。額平ぬかびら川が村の中央を貫いて西流し、沙流川に入る(「状況報文」など)近世史料ニヲヱ(ニヨイ、ニオイ)、ベナコリ(ペナコリ、ペナコレ)、シケレヘ(シケレベ)など(「戊午日誌」沙留誌など)とみえる地などからなっていた。「日高国地誌提要」に荷負村とみえ、戸数四〇、人数一六五(男八三・女八二)。初期の当村住人はすべてアイヌで、明治一四年(一八八一)戸口は四七戸・一七〇人、同年上半期の産物は厚司一〇〇反(うち販売二〇反)・椎茸四〇〇斤(同三五〇斤)・鹿一〇〇頭であった(「沙流郡物産表」道立文書館蔵簿書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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