莫院(読み)あくねいん

日本歴史地名大系 「莫院」の解説


あくねいん

現在の阿久根市のうち、山門やまと院に属した北部の脇本わきもと折多おりた地区および高城たき郡のうちであった南部の大川おおかわ地区を除く一帯に比定される中世の院。莫禰は英祢・莫祢・阿久根とも記した(文明二年一〇月九日「島津国久書下」薩州用久系図など)。薩摩国建久図田帳に近衛家領島津庄の寄郡として「莫祢四十町」とみえ、惣地頭島津忠久であった。四〇町は莫禰成光が院司を勤める延武三五町と伴兼保が名主であった土師浦五町で構成されていた。延武については未詳であるが、土師浦は西目の櫨にしめのはしとも記す)地区が遺称地とされる。惣地頭職は忠久のあと忠時・久時と相伝された(文永二年六月二日「島津忠時譲状案」島津家文書)。建仁二年(一二〇二)二月一九日、薩摩国留守所は当院に対して大隅正八幡宮(現鹿児島神宮)の府行事官粮米四斗五升の弁済を命じている(「薩摩国留守所下文案」宮内庁書陵部蔵宇佐宮日時正遷宮一会例)。承久三年(一二二一)八月二一日の薩摩国国庁下文(旧記雑録)によれば、当院は新田八幡宮放生会の雑事として橋本から鳥居までの道作りのほか、騎兵一人・出馬一疋・松四〇把・相撲二人・鉄二挺・流鏑馬二番などを負担、また弘安七年(一二八四)一一月日の天満宮国分寺恒例神事次第(国分文書)によれば天満宮・国分寺(現川内市)の恒例神事のうち正月の吉祥御願では飯八斗・餅四〇枚・炭一古ほかを、二月御霊会では霊供米一升・騎兵一人・競馬一疋・相撲二人ほかを負担していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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