大同寺(読み)だいどうじ

日本歴史地名大系 「大同寺」の解説

大同寺
だいどうじ

[現在地名]和歌山市六十谷

千手せんず川の西岸、和泉山脈麓のはす池・三昧さんまい池・しん池に囲まれて位置する。南叡山薬王院と号し、天台宗薬師如来本尊とする。草創は「紀伊国名所図会」所引の縁起に、平城天皇の御願によって最澄が一宇を建立し、その後、円仁が堂舎を造立したとある。円仁が相続し、文治年中(一一八五―九〇)には後鳥羽天皇の勅願所として再興されたという。「続風土記」によれば七堂伽藍をもつ大寺で寺領二町余を有していたが、天正一三年(一五八五)羽柴秀吉の紀州攻めによって灰燼に帰した。延宝二年(一六七四)和歌浦雲蓋わかのうらうんがい(現和歌山市)の憲海が本堂を再興し、それまで大福山仏法寺最城院と称していたのを現寺号に改めた。


大同寺
だいどうじ

[現在地名]山東町早田

早田わさだの医王山山麓にあり、山号は医王山。臨済宗妙心寺派。本尊は聖観音。もと天台宗寺院であったといわれるが、貞治五年(一三六六)の頃に、大明だいみよう(現生野町)を開創した月庵宗光によって中興された(大明禅寺開山月庵和尚行実)。月庵に深く帰依した但馬守護山名時義の援助によるものと思われる。時義の子時熙も月庵に帰依して当寺を祖先ならびに後代の菩提寺とし、寺領中の諸公事を停止するなど保護を加え、応永七年(一四〇〇)一一月二八日には、七ヵ条の規式を定めている(大同寺文書)。応永頃が当寺の最盛期であったかと考えられ、貞治五年七月二五日に寄進された本寄進田数坪付(当寺の中興を貞治五年頃とみるのはこの史料による)はじめ、以後応永二四年までに寄進された二九件の霊供田の詳しい田数坪付が作成されている(同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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