百科事典マイペディア 「菅野兼山」の意味・わかりやすい解説 菅野兼山【すがのけんざん】 江戸中期の儒者,闇斎(あんさい)学者。武蔵(むさし)の人。三宅尚斎(しょうさい)・佐藤直方(なおかた)に学ぶ。将軍徳川吉宗の時,幕府の財政的援助を受け,江戸の深川(ふかがわ)に私塾会輔堂を創設し,儒学によって武士・庶民を教導した。半官半民の学校の初めで,大坂の懐徳堂(かいとくどう)の先駆となった。→山崎闇斎 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菅野兼山」の解説 菅野兼山 すがの-けんざん 1680-1747 江戸時代中期の儒者。延宝8年生まれ。京都で伊藤仁斎,三宅尚斎(みやけ-しょうさい)にまなぶ。享保(きょうほう)のはじめ江戸で幕府の援助をうけて私塾会輔堂をひらき,武士,町人に講義した。延享4年5月25日死去。68歳。武蔵(むさし)埼玉郡出身。名は彰。字(あざな)は直養。通称は彦兵衛。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by