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佐藤直方 さとうなおかた

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

佐藤直方
さとうなおかた

[生]慶安3(1650).10.20. 備後,福山
[没]享保4(1719).8.15. 江戸
江戸時代中期の朱子学派の儒学者。通称は五郎左衛門。京都で山崎闇斎に学び,崎門三傑の一人と称される。福山,前橋,彦根各藩の藩儒を歴任。闇斎の垂加神道説,敬内義外論に反対して破門された。

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デジタル大辞泉の解説

さとう‐なおかた〔‐なほかた〕【佐藤直方】

[1650~1719]江戸中期の儒学者。備後の人。山崎闇斎(やまざきあんさい)に師事。崎門三傑の一人と称されたが、朱子学の純一性を主張し、垂加神道を唱えた師のもとを去った。著「四書便講」など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

佐藤直方 さとう-なおかた

1650-1719 江戸時代前期-中期の儒者。
慶安3年閏(うるう)10月21日生まれ。山崎闇斎(あんさい)にまなび,浅見絅斎(けいさい)らとともに崎門(きもん)三傑といわれたが,師の神道説に反対し破門される。のち備後(びんご)(広島県)福山藩,上野(こうずけ)前橋藩などにまねかれた。講義録や語録をまとめた「韞蔵録(うんぞうろく)」(稲葉黙斎編集)がある。享保(きょうほう)4年8月15日死去。70歳。備後出身。通称は五郎左衛門。

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世界大百科事典 第2版の解説

さとうなおかた【佐藤直方】

1650‐1719(慶安3‐享保4)
江戸中期の儒者。名は直方,通称五郎左衛門。備後の人。若くして京都に出て山崎闇斎に師事。浅見絅斎,三宅尚斎とともに崎門(きもん)の三傑と称される。のち江戸に移り,諸大名の間に遊び,福山・前橋・彦根藩などの藩儒を歴任した。純粋な朱子学者で,師の闇斎が垂加神道を唱えると,これに従わず師門を去った。朱子学的秩序論,名分論から放伐を肯定し,赤穂浪士の復讐を義挙にあらずと論難するなど朱子学理論を徹底させ,近世思想史上独特の存在であった。

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大辞林 第三版の解説

さとうなおかた【佐藤直方】

1650~1719) 江戸中期の儒学者。備後福山の人。山崎闇斎に学んだが、師説に異を唱えて破門。のち福山藩・厩橋(前橋)藩に仕える。朱子学を基礎として封建道徳を絶対のものとし、赤穂浪士の行為も義理に背くものとして退けた。著「韞蔵録」「排釈録」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

佐藤直方
さとうなおかた
(1650―1719)

江戸中期の儒者。通称五郎左衛門、号はない。備後(びんご)国(広島県)福山に生まれる。22歳のとき京都に上り、山崎闇斎(やまざきあんさい)に従学、三宅尚斎(みやけしょうさい)、浅見絅斎(あさみけいさい)とともに崎門(きもん)の三傑(さんけつ)と称された。のち師闇斎の敬内義外説や垂加神道(すいかしんとう)説に反対して、朱子学の立場を守り破門された。初め福山侯(水野氏)に仕え、1694年(元禄7)厩橋(うまやばし)(現、前橋)侯(酒井氏)の師となり、20余年同藩の学政に参画、晩年は彦根侯(井伊氏)に仕える。その人となりは高邁逸宕(こうまいいっとう)、眼彩は人を射、また口才があり、雄弁懸河、譬喩(ひゆ)(わ)くがごとくであったという。享保(きょうほう)4年8月15日没。年70歳。
 刊行された著述は『日本儒林叢書(そうしょ)』に『辨仁斎送浮屠道香序(べんじんさいふとどうこうにおくるのじょ)』1巻、『敬義内外考論』1巻があり、著作集に『(うんぞう)録』16冊、『蔵録拾遺』30冊、『続蔵録拾遺』6冊があり、これらはいずれも日本古典学会編『佐藤直方全集』(1931)に収録されている。[平 重道]
『平重道著『崎門学における敬義内外の論争』(『近世日本思想史研究』所収・1969・吉川弘文館)』

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世界大百科事典内の佐藤直方の言及

【赤穂浪士】より

… このように二つの立場がある以上,赤穂浪士に対する見方が分かれるのは自然である。この一方の立場から徹底的な批判を加えたのが佐藤直方であり,赤穂浪士は幕府を相手とすべきであるのに,誤って吉良を討ったとの観点から批判したのが太宰春台であった。そしてこの両者の批判をめぐって賛否の議論が,宝永から天保まで130年にもわたって続けられた。…

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