菊池謙二郎(読み)キクチ ケンジロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「菊池謙二郎」の解説

菊池 謙二郎
キクチ ケンジロウ


肩書
衆院議員,水戸中学校校長

生年月日
慶応3年1月19日(1867年)

出生地
常陸国水戸(茨城県水戸市)

学歴
帝国大学文科大学(現・東京大学文学部)国史科〔明治26年〕卒

経歴
山口高等中学校教授、岡山県津山尋常中学校校長、千葉県尋常中学校校長、第二高等学校校長、上海の東亜同文書院監督・教頭などを経て、明治41年茨城県立水戸中学校長事務取扱、大正元年校長に就任。10年舌禍事件休職。この間、“至誠一貫・堅忍力行”を校是とする一方、個人の自主性を重視する自由主義的な教育を進め、名校長と讃えられた。13年衆院議員。

没年月日
昭和20年2月3日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「菊池謙二郎」の解説

菊池謙二郎 きくち-けんじろう

1867-1945 明治-昭和時代前期の教育者。
慶応3年1月19日生まれ。二高校長,上海の東亜同文書院教頭などを歴任後,明治41年水戸中学の校長となる。大正10年舌禍(ぜっか)事件で辞職したが,復職をもとめる生徒同盟休校がおこった。13年衆議院議員。晩年水戸学の研究に没頭した。昭和20年2月3日死去。79歳。常陸(ひたち)(茨城県)出身。帝国大学卒。編著に「藤田東湖全集」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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