華岡青洲墓(読み)はなおかせいしゆうのはか

日本歴史地名大系 「華岡青洲墓」の解説

華岡青洲墓
はなおかせいしゆうのはか

[現在地名]那賀町西野山 平山

西野山菖蒲にしのやましようぶ池前の華岡家墓地にある。墓碑は三重の台石上に立ち、上に笠石を頂く。高さ一・五メートル。正面に「天聴院聖哲直幸居士」、右に「華岡随賢名震字伯行号青洲先生」、左に「天保六年乙未十月二日没得生七十有六」と刻む。県指定史跡。同所に妻加恵(文政一二年没)、母於継(寛政一一年没)の墓がある。

青洲は宝暦一〇年(一七六〇)華岡尚道の長男として、西野山村平山ひらやまに生れた。祖父の代より医を家業とし、天明二年(一七八二)京都へ遊学し、オランダ医学系の外科学を専攻儒学も修めた。同五年平山に帰り開業、診療や薬用植物の採集・栽培のかたわら、研究を続け、曼陀羅華を主成分とする「通仙散」と称する麻酔薬を造り出した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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