華蔵院(読み)けぞういん

日本歴史地名大系 「華蔵院」の解説

華蔵院
けぞういん

[現在地名]那珂湊市栄町一丁目

孤立した丘の南崖下にあり、那珂川に近い。真言宗智山派。戒珠山と号し、本尊大日如来。願行流血脈(小松寺文書)に「華蔵院開山宥待」とあって応永二二年(一四一五)開基とされ、東茨城郡常北じようほく町の小松こまつ寺蔵の宥待授宥阿印信に「文安弐年八月廿一日於湊華蔵院道場、宥阿授之」とある。また尭雅僧正関東下向記録(三宝院文書)の永禄三年(一五六〇)・元亀三年(一五七二)には「花蔵院」とも記される。「戒珠山華蔵院沿革誌」によると近世には朱印高一五石。本堂・庫裏・薬師堂・竜神社・大師堂・弁天堂・観音堂・仁王門があり、庭園として竜華園、寺内脇寮に東蔵とうぞう院・福寿ふくじゆ院・泉蔵せんぞう院・不動ふどう院・安養あんよう院・阿音あおん寺があった。


華蔵院
けぞういん

六〇世伯英徳儁塔所。徳儁は応永一〇年(一四〇三)没。初め竜峰りゆうほう院の向いにあったが、現在は建長寺境内絵図にみえる保寧ほねい寺の跡に移っている。外門の東に現存

ほかに五世仏光国師無学祖元の塔所である正続しようぞく院があったが、建武二年に夢窓疎石が後醍醐天皇の勅許を受け円覚寺に移建した(同年七月八日「後醍醐天皇綸旨」県史三)。以上のほか正宗庵(葦航道然塔所)・竜源庵(西澗子曇塔所)玉雲ぎよくうん(一山一寧塔所)向上こうじよう(太古世源塔所)・千竜庵(明極楚俊塔所、初め雲沢庵)雲外うんがい(枢翁妙環塔所)広徳こうとく(古先印元塔所)宝泉ほうせん(天鑑存円塔所)長好ちようこう(織田有楽斎塔所)などが江戸末期まで存続していたが(風土記稿)、現在は廃絶

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android