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建長寺 けんちょうじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

建長寺
けんちょうじ

神奈川県鎌倉市山ノ内にある禅寺。臨済宗建長寺派の本山山号巨福山北条時頼開基で建長5 (1253) 年創建。宋僧の蘭渓道隆 (大覚禅師) を開山第1世とする。次いで無学祖元一山一寧 (いっさんいちねい) などの名僧が輩出し,文化人の雲集するところとなった。興国2=暦応4 (1341) 年鎌倉五山の第一となり,元中3=至徳3 (86) 年に京都,鎌倉の五山を定めたとき天竜寺とともに第一とされた。堂塔坊舎は数回焼失し,北条,徳川氏により再建。梵鐘円覚寺のものと並び鎌倉時代梵鐘の双璧をなし国宝。『蘭渓道隆像』1幅 (国宝) ,『大覚禅師墨跡』 (国宝) ,『十六羅漢図』などのほか彫刻,古文書を多数所蔵。境内・庭園は史跡・名勝に指定されている。

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百科事典マイペディアの解説

建長寺【けんちょうじ】

神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の本山。本尊地蔵菩薩。山号は巨福(こふく)山,鎌倉五山の一つ。1253年北条時頼が創建,宋僧蘭渓道隆を招いて開山第1世とした。
→関連項目賢江祥啓兀庵普寧寿福寺

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デジタル大辞泉プラスの解説

建長寺

神奈川県鎌倉市にある寺院。1253年創建。臨済宗建長寺派大本山。本尊は地蔵菩薩。仏殿は国の重要文化財に指定。

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世界大百科事典 第2版の解説

けんちょうじ【建長寺】

鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉五山第1位。山号は巨福(こふく)山,本尊は地蔵菩薩。寺名,山号,本尊は,建長年間に小袋(こぶくろ)坂の刑場跡で地蔵堂のあった場所に建てられたことに由来する。北条時頼は1253年(建長5)蘭渓道隆(らんけいどうりゆう)を開山に迎え,落慶法要を行った。日本最初の本格的な宋朝風純粋禅の道場で,中国の径山万寿寺(きんざんまんじゆじ)を模した左右対称の伽藍配置であった。

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大辞林 第三版の解説

けんちょうじ【建長寺】

鎌倉市山内にある臨済宗建長寺派の本山。山号は巨福山こふくざん。1253年北条時頼の創建。開山は蘭渓道隆らんけいどうりゆう。鎌倉五山の第一に列し、円覚寺とともに関東禅寺の中心。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

建長寺
けんちょうじ

鎌倉市山ノ内にある臨済(りんざい)宗建長寺派の大本山。詳しくは巨福山(こふくざん)建長興国禅寺(けんちょうこうこくぜんじ)という。1253年(建長5)、北条時頼(ときより)が中国南宋(なんそう)より来朝した大覚禅師蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)のために創建した禅寺で、日本最初の本格的中国風禅道場である。新興の禅に傾倒する時頼は専門禅寺建立を志しつつ時を得ないでいたが、蘭渓が鎌倉の常楽寺に入るとともに意を決し、京都の聖一国師(しょういちこくし)円爾弁円(えんにべんえん)に諮って鎌倉地獄谷巨福呂(こぶくろ)の地を定め、中国の径山万寿寺(きんざんまんじゅじ)を模して大伽藍(がらん)を建立した。したがって、創建以来、本寺は鎌倉幕府の官寺であるのみならず、新興の禅宗の拠点寺院としての役割を担った寺院であり、つねに鎌倉五山第一位に置かれた寺であった。開山第1世の蘭渓道隆は「法語規則」などを衆僧に示し、宋朝の純粋な禅風をもって武士や民衆を指導した。彼は66歳で示寂したが、その後も、兀庵普寧(ごったんふねい)、無学祖元(むがくそげん)などの宋・元朝より帰投した高僧や入宋(にっそう)僧らが相次いで住持し、鎌倉禅の中心となった。室町・江戸時代においてもその禅風は異彩を放って保たれたが、現在は白隠(はくいん)下の法脈を伝えて僧堂を経営し、有為の人材を多数輩出させている。
 伽藍は、1331年(元弘1)作成の「建長寺指図(さしず)」の写しによると、総門(惣門)、三門、仏殿、法堂などの主要建造物が一直線に並ぶが、たび重なる火災などにあい、現在は様相を大いに異にする。とはいえ、総門(巨福門)、本堂(仏殿)、開山堂、唐門(からもん)、西来庵、昭堂(しょうどう)(礼堂)、仮方丈(ほうじょう)、禅堂などが谷を埋め、大覚禅師お手植えと伝える4本のビャクシンをはじめとする巨木が林立するなかで往古の荘厳な風情をいまに伝える。山門は1755年(宝暦5)の建造であり、重層かや葺(ぶ)き屋根で、正面に「建長興国禅寺」の額を掲げる。仏殿は唐門とともに1647年(正保4)増上寺の徳川秀忠夫人の霊屋(たまや)を移したといわれ、方五間、重層四注造(しちゅうづくり)の壮大な建築物で、国の重要文化財に指定されている。堂内の本尊は禅宗には珍しく地蔵菩薩(ぼさつ)であり、胎内には済田(さいた)地蔵とよばれる小像が納められていた(現在は別置)。これは、済田左衛門が罪を得て時頼に斬罪(ざんざい)に処されようとした際、髻(もとどり)の中に地蔵菩薩像を忍ばせていたため地蔵像が身替りとなって斬を免れたことに由来し、身替延命地蔵とよばれ尊崇されたものであった。昭堂も室町時代の建造であり、国の重要文化財である。
 また裏山にある奥の院勝上廟(しょうじょうびょう)には鎮守半僧坊大権現(はんぞうぼうだいごんげん)を奉祀(ほうし)し、毎年5月と9月に大祭を行う。境内には開山の大覚禅師墓塔(無縫塔(むほうとう))、仏燈(ぶっとう)国師墓塔、茶人織田有楽斎(おだうらくさい)や豪商河村瑞賢(ずいけん)の墓があるほか、方丈裏に心字池を配した庭園(史跡・名勝)がある。梵鐘(ぼんしょう)は北条時頼が物部重光(もののべしげみつ)に鋳造させたもので、道隆撰(せん)の銘があり、国宝に指定されている。寺宝は多く、国宝に絹本淡彩蘭渓道隆像、大覚禅師墨跡法語規則、国重要文化財に十六羅漢図、釈迦(しゃか)三尊像図、木造北条時頼像などがある。[里道徳雄]
『『古寺巡礼 東国3 建長寺』(1981・淡交社) ▽荻須純道著『京鎌倉の禅寺』(1963・教育新潮社)』

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世界大百科事典内の建長寺の言及

【蘭渓道隆】より

…1246年(寛元4)泉涌(せんにゆう)寺の月翁智鏡をたよって来日,やがて鎌倉に下り,寿福寺,常楽寺に住した。1253年(建長5)建長寺が完成すると,開山第1祖となり,北条時頼はじめ多くの鎌倉武士に初めて純粋な宋風禅を説いた。彼の渡来は時頼の招聘によるといわれるが,自身の自発的意志もあった。…

※「建長寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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