日本歴史地名大系 「萩原山」の解説 萩原山はぎわらやま 山梨県:塩山市萩原山市の東部にあり、近世一〇ヵ村の入会山の惣名。北は竜喰(りゆうばみ)峰通りより笠取(かさとり)・牛王円(ごおうえん)峰通り、南は牛奥(うしおく)山境小木賊(こどくさ)川、東は郡内(ぐんない)領丹波(たば)(現丹波山村)山境、西は川浦(かわうら)(現三富村)山境峰通りと千野(ちの)村・竹森(たけもり)村山境にわたる広大な山地で(享保九年「萩原十ヶ村入会山明細帳」古屋信義家文書)、北境の笠取山(一九五三メートル)・唐松尾(からまつお)山(二一〇九・二メートル)は武州秩父(ちちぶ)郡と、大菩薩(だいぼさつ)嶺(二〇五六・九メートル)以北の東境は都留(つる)郡(郡内領)と山梨郡とを各々分つ。山内には一之瀬(いちのせ)・高橋(たかはし)両沢とよばれた入会一〇ヵ村の枝郷がある。山中に源流をもつ川に笛吹川支流の重(おも)川と日(ひ)川、多摩川源流部の高橋川・一之瀬川などがある。また主要な往還として市域の村々を横断した青梅(おうめ)往還が大菩薩峠越に通っていた。萩原山の初見は寛文一一年(一六七一)中萩原・下萩原両村柴草刈取争論裁許状(菊島信郎家文書)と考えられ、一〇ヵ村のうち上萩原・中萩原・下萩原・上小田原(かみおだわら)・下小田原の五ヵ村は山元、上粟生野(かみあおの)・下粟生野・上於曾(かみおぞ)・下於曾・赤尾(あかお)の五ヵ村を里郷とよんだ。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by