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中里介山の代表的長編小説。1913年に《都新聞》に連載されたのを皮切りに《東京日日新聞》《国民新聞》《読売新聞》《隣人之友》などに書き継がれ,書下ろしを加えて第41巻まで執筆されたが,44年に作者の病没で未完となった。
作者みずからこの作品の趣意を説明して〈人間界の諸相を曲尽して,大乗遊戯の境に参入するカルマ曼陀羅の面影を……うつし見ん〉と述べているが,特定の主人公はなく,音無しの構えの無明の剣客机竜之助も一点景にすぎない。武州御岳(みたけ)神社の奉納試合で竜之助が宇津木文之丞を殺し,その妻お浜を奪って江戸へ走り,敵とねらう文之丞の弟兵馬がそれを追う発端から,話は京都,伊勢,甲州,安房,信州,飛驒と拡がり,最後には東経170度,北緯30度の椰子林(やしりん)共和国にまで及ぶ。登場人物も多岐にわたり,竜之助,兵馬のほか怪盗七兵衛,進歩派の駒井能登守,神尾主膳,間の山(あいのやま)のお玉ことお君,精悍無比な米友や小坊主弁信など特異な人物群像が多く,時代長編の一大巨峰として位置し,それ以後の大衆文学に深い影響を与えた。ニヒル剣士竜之助像の創造には作者なりの時代批判があり,善悪の彼岸に生きようとする意図もあったが,しだいに思想性,宗教性を加え,作者はこれを〈大乗小説〉と称した。作中でお玉がうたう〈間の山節〉は人の世の無常を示すと同時に全巻を貫くモティーフをも現しており〈上求菩提(じようぐぼだい)・下化衆生(げけしゆじよう)〉の具象化としても読める。
執筆者:尾崎 秀樹
妖剣をふるう盲目の剣客机竜之助の特異な人物像,彼をめぐる多彩な登場人物の流転,波瀾万丈の筋立てなど,あらゆる点で時代劇映画の魅惑をそなえているところから人気があり,《大菩薩峠》はこれまでに5度も(本数にして12本)映画化されている。
最初の映画化は日活の《大菩薩峠》二部作(1935-36)で,監督は稲垣浩(第1部には山中貞雄と荒井良平が応援監督),机竜之助には大河内伝次郎,お浜には入江たか子が扮した。第2回は東映の《大菩薩峠》三部作(1953)で,監督は渡辺邦男,机竜之助を片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を三浦光子が演じた。第3回は同じく東映の《大菩薩峠》三部作(1957-59)で,監督は内田吐夢(とむ),机竜之助を前作と同じ片岡千恵蔵,お浜・お豊の二役を長谷川裕見子が演じた。第4回は大映の《大菩薩峠》三部作(1960-61)で,監督は第1部・第2部が三隅研次,第3部が森一生,机竜之助には市川雷蔵,お浜・お豊には中村玉緒が扮した。第5回は東宝の《大菩薩峠》(1966)で,監督は岡本喜八,机竜之助を仲代達矢,お浜を新珠三千代が演じた。
これら5回の映画化のなかでは,内田吐夢版が仏教的な無常感を全編にただよわせて,原作の宗教文学としての側面を濃密に表現し,傑作とされている。とりわけ片岡千恵蔵の入魂の演技による妖気と,渡辺邦男版にひきつづいて机竜之助の下男与八を演じた岸井明の無垢とが,みごとに対照的に描き出されて印象深い。この内田吐夢版と三隅研次・森一生版が,机竜之助の人斬りにのめり込む虚無の心と女性遍歴とを重ね合わせ,死と性のエロティシズムをかもし出すことによって,映画の官能性を実現している。また,お浜・お豊の一人二役は,1921年の新国劇による最初の劇化のときに採用されたもので,のちの映画化作品の多くがそれにならい,映画的な面白さを発揮することになった。いずれの作品も,長大な未完の小説のごく一部か,せいぜい半分近くを映画化したにすぎず,ラストで机竜之助を死なせたり,笛吹川の洪水にのまれて行方不明にさせたりしている。
執筆者:山根 貞男
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中里介山(なかざとかいざん)の長編小説。1913年(大正2)9月から翌年2月までの『都(みやこ)新聞』連載を皮切りに、いくつかの新聞に連載、あるいは書き下ろしの形で出版したが、44年(昭和19)作者の死により未完。時代は幕末、剣法音無しの構えの名手机龍之助(つくえりゅうのすけ)が、武州(東京都下)御嶽(みたけ)山の奉納試合で宇津木文之丞(うつぎぶんのじょう)をうち殺し、文之丞の妻お浜を連れて江戸に逃げ、文之丞の弟兵馬(ひょうま)が敵討(かたきうち)に出て、彼をねらうところから物語が展開する。龍之助はお浜を斬(き)り、新徴組に入って京都に行くが、さらに大和(やまと)(奈良県)で天誅(てんちゅう)組に参加、十津川(とつがわ)の戦いで火薬のために失明、盲目の剣士としてのニヒルな凄(すご)みが加わる。以後、舞台はいっそう広がり、登場人物も数十人に増え、話の筋もいくつかのものが織り込まれ、人間世界の複雑に流転してゆく姿が描かれる。龍之助という否定的な、しかし不思議な人間像を造型した功績は大きく、後の大衆文学の主人公の形象に深い影響を与えている。
[竹盛天雄]
『『大菩薩峠』全12巻(1979・筑摩書房)』▽『『大菩薩峠』全20巻(富士見書房・富士見時代小説文庫)』
山梨県甲州市(こうしゅうし)と北都留(きたつる)郡小菅村(こすげむら)の境界をなし、笛吹川(ふえふきがわ)水系と多摩川(たまがわ)水系の分水界をなす稜線(りょうせん)上の峠。標高1897メートル。江戸時代、江戸より甲府に至る甲州街道の裏街道である青梅街道(おうめかいどう)(新宿追分―青梅―甲府)の一大難所であった。今日では柳沢峠(やなぎさわとうげ)が開かれており、実用的な峠路としての利用はない。北西に大菩薩嶺(れい)がそびえ、甲府盆地と南アルプスの遠望や南の富士山の姿もみごとである。ハイキングコースもこの峠や大菩薩嶺を回遊する初心者向きから、小金沢(こがねざわ)連峰の縦走、あるいは松姫峠への尾根歩きなど健脚ないし経験者向きの選択ができ、関東に近く交通の便もよいことから多くの人々に親しまれている。中里介山(なかざとかいざん)の小説『大菩薩峠』で広くその名を知られ、西側が茅戸(かやと)(草原)で明るい山容の中に中里介山の文学記念碑がある。秩父多摩甲斐(ちちぶたまかい)国立公園の一部。JR中央本線塩山駅からバスで裂石(さけいし)に入り、登山路をとるのが一般的。
[吉村 稔]
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…戦中戦後の大映・東横時代を経て,51年,東映の設立に参加,東映の重鎮スターとして活躍した。〈遠山金四郎〉シリーズ,渡辺邦男および内田吐夢の監督で2度もシリーズ化された《大菩薩峠》(1953および1957‐59),戦後初の《赤穂城》を含む〈忠臣蔵〉映画,そのほか〈新撰組〉もの,オールスター任俠時代劇,内田吐夢監督と組んだ《血槍富士》(1955),《黒田騒動》(1956)等々の時代劇のほか,大映時代の《七つの顔》(1947)にはじまる〈多羅尾伴内〉シリーズ,〈金田一耕助〉シリーズ,《奴の拳銃は地獄だぜ》(1958)などのギャング映画と,現代劇も数多く,その千変万化ぶりは東映映画の魅力を象徴したといってよい。【山根 貞男】。…
※「大菩薩峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
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