山梨県南東部、郡内(ぐんない)地方にある市。相模(さがみ)川の上流桂川(かつらがわ)沿岸にある。1954年(昭和29)谷村(やむら)町と宝、禾生(かせい)、盛里(もりさと)、東桂の4村が合併、改称して市制施行。文禄年間(1592~1596)浅野氏が谷村に入部してから城下町として発展し、江戸時代、谷村藩(郡内藩)秋元氏の所領となったのち、1705年(宝永2)からは天領となり代官陣屋が置かれ、郡内地方の政治、文化の中心地として栄えた。秋元氏は機業を農家の副業として勧めたので、機業が周辺農村で行われるようになり、今日でも甲斐絹(かいき)の産地であり、夜具地、座ぶとん地などが家内工業として生産されている。最近は京浜地方に近いため電器・機械工場などの進出も少なくない。観光地に勝山城跡や蒼竜(そうりゅう)峡、鹿留(ししどめ)の桜、湯ノ沢温泉がある。また、公立大学法人都留文科大学があり、数少ない公立教員養成大学として全国から学生が集まる。富士急行線と国道139号、中央自動車道が通じ、都留インターチェンジがあり、東京方面とも短時間で結ばれている。面積161.63平方キロメートル、人口3万1016(2020)。
[横田忠夫]
山梨県南東部,郡内地方にある市。1954年谷村(やむら)町と宝,禾生(かせい),盛里(もりさと),東桂の4村が合体,市制。人口3万3588(2010)。市域は御坂(みさか)・道志(どうし)両山塊にはさまれ,桂川中流域に広がる。中心の旧谷村町は1594年(文禄3)浅野氏が勝山城を築いてから城下町として発展し,1633年(寛永10)秋元氏の所領になったのち,1705年(宝永2)からは天領となり,代官陣屋が置かれ郡内地方の政治中心地として栄えた。秋元氏は機業を農家の副業としてすすめたため,周辺農村に広まり,甲斐絹(かいき)をはじめとする郡内機業の中心となった。現在でも夜具地,座布団地の八端(はつたん)などが家内工業として生産される。また,近年は京浜地方に近いため電器,機械などの工場も増加している。教育面では全国唯一の公立教員養成大学である市立都留文科大学がある。富士急行線と中央自動車道河口湖線が通じる。
執筆者:横田 忠夫
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…地名の初見は1532年(天文1)。同年小山田信有が谷村に新館を建てて以来,戦国期郡内(都留郡)支配の拠点となった。93年(文禄2)入部した浅野氏重は翌年桂川左岸に勝山城を築城,また郡内領の検地を実施,このとき谷村は上谷(かみや)・下谷(しもや)両村に分けられたが,その後も一般には両村を合わせて谷村とよんだ。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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