萱津宿(読み)かやづしゆく

日本歴史地名大系 「萱津宿」の解説

萱津宿
かやづしゆく

[現在地名]甚目寺町上萱津

鎌倉・室町時代の京都から尾張にくる交通上の要衝であった。

富田庄絵図(円覚寺蔵)庄内川五条ごじよう川との合流点西北部に、北からの道路とそれに沿った家並と「萱津宿」が記載され、道路は宿の南で西方に延びている。「吾妻鏡」建久六年(一一九五)六月二九日条に、将軍源頼朝「着尾張国萱津宿給、当国守護人野三刑部丞成綱進雑事」、暦仁元年(一二三八)二月一〇日条に、将軍藤原頼経「萱津御宿、亥剋俄御不例、御霍乱歟、諸人驚騒、権侍医時長施術之間、少選令御本復、京兆令引御馬給云々」、十一日条に「御逗留于萱津宿、依去夜御不例余気御也」、建長四年(一二五二)三月二二日条に、将軍宗尊親王が鎌倉下向のとき「昼黒田、夜萱津」とあり、将軍の上下向には萱津で宿泊することがほぼ定まっていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の萱津宿の言及

【萱津】より

…古代律令制下では,伊勢から尾張に入る東海道の馬津駅(まつのうまや)(現,津島市)と新溝(にいみぞ)駅(現,名古屋市か)を結ぶ草津渡があった。鎌倉時代になると,美濃墨俣(すのまた)(現,岐阜県安八(あんぱち)郡墨俣町)から尾張へ入る鎌倉街道の,黒田宿(現,愛知県葉栗郡木曾川町)と熱田(あつた)(名古屋市熱田区)の中継地として,また伊勢から津島を経てきた道と鎌倉街道との合流点にあたる要衝として,萱津宿がさかえた。東西南北の4宿があり,鎌倉時代には将軍の上下向の際にはしばしば宿泊地とされた。…

※「萱津宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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