六百番歌合(読み)ロッピャクバンウタアワセ

デジタル大辞泉 「六百番歌合」の意味・読み・例文・類語

ろっぴゃくばんうたあわせ〔ロクピヤクバンうたあはせ〕【六百番歌合】

鎌倉初期の歌合わせ。建久4年(1193)藤原良経邸で催された。判者藤原俊成作者藤原定家顕昭けんしょう慈円寂蓮ら12人。各人100題100首で、計1200首600番。

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精選版 日本国語大辞典 「六百番歌合」の意味・読み・例文・類語

ろっぴゃくばんうたあわせロクヒャクバンうたあはせ【六百番歌合】

  1. 鎌倉初期の歌合。建久四年(一一九三)秋、左大将藤原良経の主催で行なわれた。作者は左、良経・季経・兼宗・有家・定家・顕昭、右、家房・経家・隆信・家隆・慈円・寂蓮の一二人。判者、俊成。各人、四季・恋百題百首で、計六百番。御子左家と六条家との対立を反映して、評定論争が激しく、顕昭は「六百番陳状」を書いて反論し、特に寂蓮との論争は「独鈷鎌首(とっこかまくび)争い」として知られる。俊成の優艷調和を説いた判詞は歌論史上注目すべきものであり、「新古今集」に与えた影響も大きい。左大将家百首歌合、後京極殿百首歌合ともいう。

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改訂新版 世界大百科事典 「六百番歌合」の意味・わかりやすい解説

六百番歌合 (ろっぴゃくばんうたあわせ)

1193年(建久4)秋より左大将藤原良経邸で披講された歌合で,完成は翌年か。《後京極殿百首歌合》《左大将家百首歌合》ともいう。作者は左が,藤原良経・同季経・同兼守・同有家・同定家・顕昭,右が,藤原家房・同経家・同隆信・同家隆・慈円・寂蓮の計12人,判者は藤原俊成。各人が春15首・夏10首・秋15首・冬10首・恋50首の百題百首を詠進し,それを600番に結番した百首歌形式の歌合。本歌合から《新古今集》に34首入集し,本歌合の作者がその主要歌人,撰者となっていること,当代歌壇の二大門閥,御子左家(みこひだりけ)と六条家の歌の理念をめぐる激しい対立など,新古今前史としての意義は大きい。俊成判は余情,優艶を重んじ,《源氏物語》尊重を説くなど,歌評の精髄の観があって,歌論史的位置はきわめて高い。顕昭と寂蓮の〈独鈷鎌首(とつこかまくび)の争い〉は有名であるが,顕昭は俊成判を不服として,《顕昭陳状(六百番陳状)》(陳状)で反駁した。
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百科事典マイペディア 「六百番歌合」の意味・わかりやすい解説

六百番歌合【ろっぴゃくばんうたあわせ】

鎌倉初期,藤原良経が主催した空前規模の歌合。1192年に企画,翌1193年成立か(一説に1194年)。歌人は藤原家隆定家顕昭寂蓮ら12名,判者は藤原俊成歌題は四季・恋各50題で,特に恋題の構成に特色ある細分化が見られる。歌のうち34首が《新古今和歌集》に入集するなど後代への影響も大きい。歌を詳細に批評した判詞から,円熟した俊成の和歌観がうかがえる。これに対して顕昭は反駁を加え,《顕昭陳状》を記した。
→関連項目歌合

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「六百番歌合」の意味・わかりやすい解説

六百番歌合
ろっぴゃくばんうたあわせ

鎌倉時代前期の歌合。『左大将家百首歌合』ともいう。建久4 (1193) 年左近衛大将であった藤原良経 (九条良経 ) の家で,12人の作者があらかじめ詠んでおいた 100題の歌各人 100首,計 1200首を 600番の歌合とし,披講したもの。判者は藤原俊成。作者には主催者良経をはじめ,藤原定家,藤原家隆,寂蓮,慈円など新風歌人のほか,顕昭,経家ら六条家旧派も加わっていた。そのため,おそらく 10回程度に及んだであろう披講の席での新旧両派の議論はきわめて活発に行われた。その議論の概要は難陳として,俊成の判詞に先立って記されており,新風和歌に対して概して好意的な判詞とともに,当時の歌風の争点を探るうえに貴重である。余情や (えん) を重視し,『源氏物語』の文芸性を称揚した俊成の判詞は,文学評論としてもすぐれている。多くの秀歌を『新古今和歌集』以下の撰集に提供した歌合として歌合史上重要。顕昭はこの歌合における俊成の判に不服で,『六百番陳状』または『顕昭陳状』と呼ばれる陳状 (弁明書) を発表した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「六百番歌合」の意味・わかりやすい解説

六百番歌合
ろっぴゃくばんうたあわせ

後京極(ごきょうごく)(九条)良経(よしつね)主催の歌合。1192年(建久3)良経が企画・出題し、12人の歌人に各百首を詠出させ、翌93年秋から披講評定に入り、藤原俊成(しゅんぜい)の加判を得て完成した。歌題は四季題50、恋題50の百題百首で、四季題のうち25題は非正統的組題で知られる『永久百首』(1116)と共通し、恋題も歌学的体系性に基づいた文芸性の濃厚な空前の組織題となっている。歌人は、保守的歌風の六条家から季経(すえつね)、顕昭(けんしょう)、経家、有家、新風の御子左(みこひだり)家から隆信、寂蓮(じゃくれん)、家隆、定家、それに権門の良経、慈円、家房、兼宗(かねむね)と、家系、身分の配慮された構成であった。おりしも建久(けんきゅう)年間(1190~99)は良経、定家ら新進歌人の新風開拓の高揚期にあたり、六条家側との論争を通じての歌風の相違が際やかに現れている。抑制を求めつつも新風に理解を示す俊成の判詞は委細を極め、これに反論した顕昭の『六百番陳状』とともに新古今時代の文芸批評の到達点をここにみることができる。

[松野陽一]

『谷山茂校注『日本古典文学大系74 歌合集』(1965・岩波書店)』

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