1193年(建久4)秋より左大将藤原良経邸で披講された歌合で,完成は翌年か。《後京極殿百首歌合》《左大将家百首歌合》ともいう。作者は左が,藤原良経・同季経・同兼守・同有家・同定家・顕昭,右が,藤原家房・同経家・同隆信・同家隆・慈円・寂蓮の計12人,判者は藤原俊成。各人が春15首・夏10首・秋15首・冬10首・恋50首の百題百首を詠進し,それを600番に結番した百首歌形式の歌合。本歌合から《新古今集》に34首入集し,本歌合の作者がその主要歌人,撰者となっていること,当代歌壇の二大門閥,御子左家(みこひだりけ)と六条家の歌の理念をめぐる激しい対立など,新古今前史としての意義は大きい。俊成判は余情,優艶を重んじ,《源氏物語》尊重を説くなど,歌評の精髄の観があって,歌論史的位置はきわめて高い。顕昭と寂蓮の〈独鈷鎌首(とつこかまくび)の争い〉は有名であるが,顕昭は俊成判を不服として,《顕昭陳状(六百番陳状)》(陳状)で反駁した。
執筆者:竹下 豊
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後京極(ごきょうごく)(九条)良経(よしつね)主催の歌合。1192年(建久3)良経が企画・出題し、12人の歌人に各百首を詠出させ、翌93年秋から披講評定に入り、藤原俊成(しゅんぜい)の加判を得て完成した。歌題は四季題50、恋題50の百題百首で、四季題のうち25題は非正統的組題で知られる『永久百首』(1116)と共通し、恋題も歌学的体系性に基づいた文芸性の濃厚な空前の組織題となっている。歌人は、保守的歌風の六条家から季経(すえつね)、顕昭(けんしょう)、経家、有家、新風の御子左(みこひだり)家から隆信、寂蓮(じゃくれん)、家隆、定家、それに権門の良経、慈円、家房、兼宗(かねむね)と、家系、身分の配慮された構成であった。おりしも建久(けんきゅう)年間(1190~99)は良経、定家ら新進歌人の新風開拓の高揚期にあたり、六条家側との論争を通じての歌風の相違が際やかに現れている。抑制を求めつつも新風に理解を示す俊成の判詞は委細を極め、これに反論した顕昭の『六百番陳状』とともに新古今時代の文芸批評の到達点をここにみることができる。
[松野陽一]
『谷山茂校注『日本古典文学大系74 歌合集』(1965・岩波書店)』
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