日本歴史地名大系 「落部村」の解説
落部村
おとしべむら
明治初年に近隣を編入して成立した村で、昭和三二年(一九五七)まで存続した。成立時は渡島国
「北行日記」明治三年(一八七〇)七月三〇日条に「落部駅、相木屋文作ト申旅籠店ニテ昼飯ヲ用ユ、此辺外ニ道ナク尽ク海岸ヲ通行ス、此相木屋普請至テ立派ニテ是迄過キシ駅ハ稀ナリ」とある。「渡島国地誌提要」によると戸数一三八(うち寺一・平民一〇五・アイヌ三二)・人数七〇二(うち僧侶一、平民男二九〇・同女二九五、アイヌ男六二・同女五四)。
落部村
おとしべむら
「西蝦夷地日記」に「ヲトシベ、是は野田追領なり、然ども当所に会所、名主有之」とみえ、続けて名主・小頭の役人が置かれていたことが記される(文化四年一〇月二二日条)。同じ頃「ヲトシヘ、(中略)自鷲木会所、此落部会所迄三里十町五十六間、村会所アリ、落部村端川アリ、川巾二十五間ニテ船渡シ、此川ヘ七、八十石積ノ船ハ川ノ内ニ入ルナリ、其川ヲ渡リテ砂道、鯡昆布場ナリ」(「文化度蝦夷地湊々測量之図」市立函館図書館蔵)ともある。
落部村
おちべむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報