葛生東介(読み)クズウ トウスケ

20世紀日本人名事典 「葛生東介」の解説

葛生 東介
クズウ トウスケ

明治・大正期の国家主義者



生年
文久2年11月11日(1862年)

没年
大正15(1926)年2月8日

出生地
下総国相馬郡布佐(千葉県)

本名
葛生 玄晫

学歴〔年〕
千葉県立医学校中退

経歴
代々医を業とする家に生まれ、幼くして宮内君浦に漢学を学び、18歳で千葉県立医学校に入学したが半年で中退。のち青柳高鞆国学を学ぶ。「総房共立新聞」「東海新聞」の各主筆として時事を論じた。また演壇に立ち自由民権運動を支持、条約改正に反対し数度当局により投獄される。明治22年外相・大隈重信襲撃事件に関わる。一方、この頃金玉均と交わり朝鮮問題に努めた。34年内田良平らと黒龍会を組織、幹事となる。のち大日本国防義会、福岡海軍協会を創立した。晩年は茨城県鹿島郡荒波村に隠棲

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「葛生東介」の解説

葛生東介 くずう-とうすけ

1862-1926 明治-大正時代の国家主義者。
文久2年11月11日生まれ。葛生能久(よしひさ)の兄。青柳高鞆(たかとも)に国学をまなぶ。「東海新聞」主筆。自由民権運動を支持し,条約改正に反対し,明治22年外相大隈重信襲撃事件にかかわる。34年内田良平らと黒竜会を創立。のち大日本国防義会,海軍協会を設立した。大正15年2月8日死去。65歳。下総(しもうさ)相馬郡布佐(千葉県)出身本名は玄晫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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