日本歴史地名大系 「蒲江浦」の解説 蒲江浦かまえうら 大分県:南海部郡蒲江町蒲江浦[現在地名]蒲江町蒲江浦竹野浦河内(たけのうらごうち)の西に位置し、蒲江湾に面する。同湾の湾口にある屋形(やかた)島を天然の防波堤とする良港で、港の長さ一五町・幅五町(豊後国古城蹟并海陸路程)。日向灘に浮ぶ孤島の深(ふか)島周辺にかけては好漁場で、漁猟が盛んであった。江戸時代には泊(とまり)浦とも称し、また広義には泊浦・河内(かわち)浦・猪串(いのくし)浦・野々河内(ののかわち)浦・森崎(もりざき)浦・丸市尾(まるいちび)浦・葛原(かずらはら)浦・波当津(はとうづ)浦・坪(つぼの)浦の九ヵ浦の惣名を蒲江浦と称した(享和三年「郷村仮名付帳」佐伯藩政史料)。応安四年(一三七一)一一月一四日の今川義範軍勢催促状案(日向土持文書)に「佐伯・蒲江辺」とみえ、土持八郎左衛門入道(時栄)に同地への出陣を要請している。豊後水道の入口に位置する「釜江」は東九州沿岸航路の「夷海右道」にあたり、明船の経由地であった(日本一鑑)。慶長元年(一五九六)閏七月二三日、近衛信輔の供をして玄与が「海士の住さと」の当浦に着き、古寺に止宿している(玄与日記)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by