蓑田卯七(読み)みのだ うしち

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「蓑田卯七」の解説

蓑田卯七 みのだ-うしち

1663-1727 江戸時代前期-中期俳人
寛文3年生まれ。田上尼(たがみのあま)の甥(おい)。肥前長崎の人。唐人屋敷の組頭をつとめた。蕉門。「渡鳥集」を向井去来と共編,「去来抄」に俳論がみえる。享保(きょうほう)12年5月7日,65歳で死去一説に延享4年(1747)1月2日死去(享年不詳)とも。通称は八平次。別号に十里亭。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む