日本歴史地名大系 「蓮代寺村」の解説 蓮代寺村れんだいじむら 石川県:小松市旧能美郡地区蓮代寺村[現在地名]小松市蓮代寺町東は勘定(かんじよう)村、北は本江(ほんごう)村、南西端で木場(きば)潟に接する。南東は山地、北西は水田となり、その中間に集落がある。蓮台寺・蓮大寺とも記され、平安時代中期に白山五院の一つである蓮台寺があり、その門前町として成立したと伝え、寺跡は現在の日吉神社境内という(小松市史)。「白山宮荘厳講中記録」文明六年(一四七四)条によれば、加賀守護職をめぐって富樫政親・幸千代兄弟が争った時、弟幸千代が当地を拠点とし城を築いたが、真宗本願寺派門徒らの支援を受けた政親勢がこれを攻撃し、一〇月一四日「蓮台寺城」は落城した。この事件は最初の一向一揆としても知られる。城跡は「皇国地誌」にみえる集落南東方向にある「代(しろ)ノ山(やま)」であろう。 蓮代寺村れんだいじむら 富山県:東礪波郡井波町蓮代寺村[現在地名]井波町連代寺(れんだいじ)志観寺(しかんじ)村の西、八乙女(やおとめ)山の北西山麓台地に立地。天正一三年(一五八五)一〇月一四日の前田利勝請取状(遺編類纂)に「蓮台寺」とみえ、河上蔵米のうちとして四二〇目を綿で納めている。慶長八年(一六〇三)六月当村および川原崎(かわらさき)・戸板(といた)・谷(たに)・今里(いまざと)・清玄寺(せいげんじ)・五領(ごりよう)の計七ヵ村と井波の百姓との井波山(八乙女山北西斜面)の争論に勝ち、七ヵ村入会山であることが認められている(「中川宗重等連署裁許状」越中古文書)。元和五年(一六一九)の家高新帳に「れんたいし」とみえ、役家数五、つほ野組に属する。正保郷帳では高二四〇石余、田方一五町三反余・畑方七反。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では草高二七一石・免五ツ五歩、小物成は山役二三三匁(三箇国高物成帳)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by