日本大百科全書(ニッポニカ) 「井波」の意味・わかりやすい解説
井波
いなみ
富山県南西部、東礪波郡(ひがしとなみぐん)にあった旧町名(井波町(まち))。現在は南砺(なんと)市の北東部を占める一地区。1889年(明治22)町制施行。1951年(昭和26)南山見村、1954年山野村と合併。1959年高瀬村の一部を編入。2004年(平成16)東礪波郡城端(じょうはな)町、福野(ふくの)町、平(たいら)村、上平(かみたいら)村、利賀(とが)村、井口(いのくち)村、西礪波郡福光(ふくみつ)町と合併、市制を施行して南砺市となる。旧町域は、八乙女(やおとめ)山の山麓崖(さんろくがい)を侵食した東大谷(おおたに)川の扇状地上を占め、国道156号、471号が走る。米作のほかサトイモ、花卉(かき)球根の栽培が盛ん。1390年(元中7・明徳1)本願寺5世綽如(しゃくにょ)がこの地に瑞泉寺(ずいせんじ)を建立、8世蓮如(れんにょ)のとき信徒が増大し越中(えっちゅう)(富山県)の本願寺浄土真宗の拠点であった。1581年(天正9)佐々成政(さっさなりまさ)に焼かれたが藩政期に再建され、ふたたび門前町として栄えた。現在真宗大谷派別院、山門は県指定文化財、本堂は県下最大の木造建築物である。同寺の『紙本墨書後花園(ごはなぞの)天皇宸翰御消息(しんかんごしょうそく)』『紙本墨書綽如上人歓進状(かんじんじょう)』は国指定重要文化財。また、欄間(らんま)、獅子頭(ししがしら)などの木彫屋が多く、井波彫刻総合会館がある。高瀬遺跡は国指定史跡。高瀬神社は越中国一宮(いちのみや)。名物に御所落雁がある。
[深井三郎]
『『井波町史』上下(1970・井波町)』