朝日日本歴史人物事典 「蓮待」の解説
蓮待
生年:長和2(1013)
平安中・後期の真言宗の僧。高野聖の先駆け。土佐(高知県),あるいは丹波出身か。仁和寺で密教を修学したのち,金峰山で塩穀を断つ苦行に励み,次いで高野山に入った。久しく諸国を遍歴し,晩年病んで聖地で入滅すべく再び高野山に戻る。極楽・兜率天(弥勒菩薩の住む浄土)いずれに往生してもよいと語り,常に法華経を誦していたという。遺骸を原野に棄置して鳥獣に施すことを願ったが許されず,故郷土佐に向かう途中,没した。石蔵上人という通称や山岳修行,法華経読誦の行動からみて,半僧半俗で高野山の因縁を語りつつ全国を行脚した高野聖の先駆とみられる。「南無大師遍照金剛」という大師宝号を最初に唱えた人物でもある。<参考文献>五来重『増補/高野聖』
(正木晃)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報