金剛定寺(読み)こんごうじようじ

日本歴史地名大系 「金剛定寺」の解説

金剛定寺
こんごうじようじ

[現在地名]日野町中山

中山なかやまのほぼ中央に位置し、中山寺ともいう。龍護山と号し、天台宗本尊は十一面観音。守護社として永和三年(一三七七)に紀州那智の熊野権現を勧請したという熊野神社がある。寺蔵の縁起によれば、聖徳太子建立四八ヵ寺の一つで、天平勝宝四年(七五二)四月には奈良東大寺実忠が訪れ、四月堂を建立、法を修したといい、古くは同寺別院であったという。所蔵文書にも嘉応元年(一一六九)九月二〇日の東大寺下知状が伝えられる。なお北部の作谷つくりや窯跡や金折山かなおりやま窯跡からは奈良期の瓦片や平安期の緑釉陶器などが出土している。


金剛定寺
こんごうじようじ

[現在地名]宇都宮市上桑島町

上桑島かみくわじま町の東部、鬼怒川近くの平地にあり、桑島山正覚院と号し、真言宗智山派。本尊大日如来。弘安元年(一二七八)能満寺として峰忍が開山。鎌倉将軍惟康親王が峰忍に帰依し田畑寄進、その後四世祐清の時、応永元年(一三九四)後小松天皇の勅により金剛定寺と改称。真言宗檀林で、末寺三〇余ヵ寺、朱印高二五石(下野国誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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