薗田宗恵(読み)ソノダ シュウエ

20世紀日本人名事典 「薗田宗恵」の解説

薗田 宗恵
ソノダ シュウエ

明治・大正期の僧侶(浄土真宗本願寺派),仏教学者 仏教大学学長



生年
文久3年7月27日(1863年)

没年
大正11(1922)年1月3日

出生地
和泉国日根郡小島村(大阪府泉南部岬町)

旧姓(旧名)
浅井

別名
号=鶴堂

学歴〔年〕
帝大文科大学哲学科(現・東大文学部)〔明治25年〕卒

経歴
和泉・教円寺の浅井宗泰の長男に生まれ、のち和歌山・妙慶寺の薗田香潤の法嗣となる。明治25年西本願寺文学寮教授、30年文学寮長となる。32年西島覚了を伴って最初の西本願寺アメリカ開教使として渡米。北米各地の在留邦人に伝道し、また白人を中心とする法人仏教団体も設立。34年ドイツに留学し、当時ヨーロッパ各地の宗教事情を視察していた大谷光瑞法主にしたがい、インド仏跡の調査にも参加した。帰国後、仏教大学(現・龍谷大学)講師となり、44年勧学、大正4年仏教大学学長に就任。著書に「聖徳太子」「仏教通観」「印度仏教史要」、編著に「仏教大字彙」などがある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「薗田宗恵」の解説

薗田宗恵 そのだ-しゅうえ

1862-1922 明治-大正時代の僧。
文久2年7月27日生まれ。浄土真宗本願寺派。和歌山妙慶寺薗田香潤の養子となる。本山の文学寮の教授,寮長を歴任。明治32年最初の北米開教師としてサンフランシスコ布教にあたる。38年仏教大(現竜谷大)学長,44年勧学。大正11年1月5日死去。61歳。和泉(いずみ)(大阪府)出身。帝国大学卒。旧姓は浅井。号は確堂。著作に「聖徳太子」「仏教通観」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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