朝日日本歴史人物事典 「薫的」の解説
薫的
生年:寛永2(1625)
江戸初期の曹洞宗の僧。土佐国幡多郡中村(高知県中村市)の人。俗名は康松又衛門。長じてから仏門に入り,予岳寺(土佐山田町)で修行,のちに瑞応寺(高知市)の住職となる。寛文4(1664)年,逝去した土佐2代藩主山内忠義に菩提寺真如寺了谷が付した戒名を不穏当とし,また法会の席次が真如寺より下位であることに抗議した。家老孕石頼母の慰諭にも服しなかったために投獄され,獄死。はじめ小高坂山に葬られたが,しばしば異変があったので瑞応寺内に改葬,墓上に薫的堂が建てられた。明治初年瑞応寺が廃寺となり,薫的堂は神社に改められ,現在薫的神社と称する。のち瑞応寺は薫的宗本山として神社北東側に再興された。
(中尾良信)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報