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薫的 くんてき

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

薫的 くんてき

1625-1671 江戸時代前期の僧。
寛永2年1月28日生まれ。曹洞(そうとう)宗。土佐(高知県)の長宗我部氏菩提寺(ぼだいじ)瑞応(ずいおう)寺住職。藩主山内忠義が死去した際,山内氏の菩提寺,真如寺住職の了谷がつけた戒名に異議をとなえる。藩の慰留もきかなかったため投獄され,7年後の寛文11年1月食をたって座禅のまま絶命。47歳。のち薫的神社にまつられた。俗姓は康松。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

薫的

没年:寛文11(1671)
生年:寛永2(1625)
江戸初期の曹洞宗の僧。土佐国幡多郡中村(高知県中村市)の人。俗名は康松又衛門。長じてから仏門に入り,予岳寺(土佐山田町)で修行,のちに瑞応寺(高知市)の住職となる。寛文4(1664)年,逝去した土佐2代藩主山内忠義に菩提寺真如寺了谷が付した戒名を不穏当とし,また法会の席次が真如寺より下位であることに抗議した。家老孕石頼母の慰諭にも服しなかったために投獄され,獄死。はじめ小高坂山に葬られたが,しばしば異変があったので瑞応寺内に改葬,墓上に薫的堂が建てられた。明治初年瑞応寺が廃寺となり,薫的堂は神社に改められ,現在薫的神社と称する。のち瑞応寺は薫的宗本山として神社北東側に再興された。

(中尾良信)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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