朝日日本歴史人物事典 「藤井懶斎」の解説
藤井懶斎
生年:生年不詳
江戸時代前期の儒学者。真辺氏。名は臧,字は季廉,別号は伊藁子。はじめ真辺仲(忠)庵と称し,寛永19(1642)年に筑後国(福岡県)久留米藩に儒医として召し抱えられるが,延宝2(1674)年に致仕して京都へ行き,藤井懶斎と名乗った。山崎闇斎の門に学び,洛西鳴滝に隠棲。『本朝孝子伝』(1684)など,朱子学者としての立場から教訓的な著述を残した。都の錦『元禄大平記』(1702)では懶斎を「隠儒にして道をたのしぶ」として「京都儒者親四天王」のひとりとし,室鳩巣は「言あり徳あるの一隠君子なり」と敬慕したことなど,当時の懶斎に対する評価がうかがえる。
(樫澤葉子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報