藤原兼長(読み)ふじわらのかねなが

朝日日本歴史人物事典 「藤原兼長」の解説

藤原兼長

没年保元3.1(1158)
生年保延4.5(1138)
平安後期の公卿。左大臣藤原頼長と権中納言源師俊の娘の子。久安4(1148)年叙爵,侍従,右少将,右中将を経て,久安5年従三位に叙されて公卿の座に列し,以後皇后宮権大夫,仁平3(1153)年には正二位参議,同年権中納言と迅速に昇進を重ねた。久寿1(1154)年右大将兼任。保元の乱(1156)において,父頼長に従って崇徳上皇方につき敗北連座の罪を問われ,除名配流の処分を受け,出雲国へ流される。配所において21歳の若さで死去

(上杉和彦)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原兼長」の解説

藤原兼長 ふじわらの-かねなが

1138-1158 平安時代後期の公卿(くぎょう)。
保延(ほうえん)4年生まれ。藤原頼長(よりなが)の子。母は源師俊の娘。仁平(にんびょう)3年(1153)参議,同年権(ごんの)中納言となり,翌年右近衛(うこんえの)大将を兼任。正二位。保元(ほうげん)の乱に際して父に連座,出雲(いずも)(島根県)に流された。配所で保元3年1月死去。21歳。

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